愛と憎しみは紙一重って、ホント?

愛と憎しみは紙一重って、ホント?

「愛と憎しみは紙一重」なんてよく言われるものですが、そこに本当の愛があれば、憎しみなんて沸かないんですよね。

本当に人を愛するというのは、「相手がHAPPYなら、自分もHAPPY」だから。

相手を苦しめたい、不幸にしたい、なんて思わないはず。

では、「愛と憎しみは紙一重」の人は、相手を好きなのに、どうして苦しめたくなるのか?

自分がいないところで幸せになるなんて、許せないから。

自分がいることで幸せになるならいいけど、自分がいなくても幸せになったら、自分がいる意味がなくなってしまうから。

「悔しい!」という思いが強いんでしょうね。

結局、そこにあるのは、愛は愛でも、「自己愛」。

相手がいることで、自分がいい気分でいたいだけなんですよね。

だから相手を失うことによって、自分がいい気分でいられなくなるから、同じ苦しみを相手にも味わせてやりたいと相手の足をひっぱってしまう。

なんとも身勝手で無茶苦茶な話です・・・。

結局、そんな醜態をさらしてしまう人は、自分自身のことも愛せていないんです。

なぜなら、自分のことを本当に愛している人は、自分をそんな状態にまで追い込まないから。

さらに言えば、どんなに悲しくても、“自分が好きな自分”でいることを心がけるから。

それはもちろん、相手に裏切られたのに、泣き寝入りをしろ、と言っているわけではありません。

でも、それならそれで凛とした姿でいられる対応の仕方もありますしね。

離婚とか、契約の話なら、きちんと冷静な対応の仕方があるでしょうし、そんなレベルでない場合は、変な話、「相手に別れて惜しいことをしたな」と思わせることが、一番の復讐になることだってありますしね。

さらに言えば、自分を裏切った相手以上に素敵な人と出会って、幸せになることだって、ある意味、「ざまーみろっ!」ということになりますし(※とはいえ、そんな幸せになった時は、自分を振った相手のことなんて、どうでもよくなるでしょうしね)。

醜態をさらして、相手に「別れて良かった」なんて思われることが、一番悔しいことだから!

人は愛のない行動には、見向きもしない。

逆に、愛のある行動を見せることで、「こんなに自分を本当に愛してくれる人は他にはいないかもしれない」と後悔するものなんですよ。

実際に、そこまで愛せる人って希少ですし、そんな人を裏切る人は本当の“おバカさん”ですしね。

悔しければ、むしろ、本当に愛せる人になった方がいい。

憎しみを抱いている場合ではない。

少なくとも醜態をさらすのは、戦略が間違っている。

「愛と憎しみは紙一重」ではなく、「“自己愛”と憎しみは紙一重」なだけ。

相手への憎しみは、相手だけではなく、自分の心にもダメージを与えるもの。

人に憎しみを抱いて、気分がいい人なんていないですしね。

だから、自分のためにも本当の愛を持てるようになった方がいいものなんですよね。

byコラムニスト・ひかり