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“本物の魅力”を身に付けませんか?

■それ、本物の魅力?

自分を真剣に愛せている人は、恋愛も人生も逃げないで、まっすぐ進もうとすることができるもの、なんですよね。


先日、美容師の人と話していた時、こんな話題になったんです。

最近、人当たりの良い人は増えたけど、「人に好かれたい、嫌われたくない」レベルの人が多くて、真剣に、自分を成長させたい、魅力的になりたいとまで思っている人は少ないのでは?と。

つまり、自分を本気で愛している人と、人に好かれたい、嫌われたくないレベルの人とでは、最終的には、身に付く魅力のレベルも、随分変わってくるのではないか?と。

単に好かれたい人は、表面的に優しい人になれば、それがゴールだけど、本気で自分を磨きたい人は、人が見ていないところでもじっくり心を磨いている。

「そういう自分になりたいから」なんですよね。

でも、人知れず、心を磨く努力をしていたとしても、最終的には、その心が元となって、言動に表れるもの。

だから、やはり佇まいや雰囲気からして、魅力的になる。

逆を言うと、表面的な人って、どんなに優しい言葉を言っていたとしても、やはり表面的な感じが出てしまう。

元となる心に、本当に“優しさ”があるかどうかは、その言動で、透けて見えてしまう。

それは、仕事でも同様。

私は、職人気質な人ってすごく好きなのですが、なぜだろう?と思うと、その仕事そのものに、“心”を込めているからなんですよね。

「出世をしたい」「お金持ちになりたい」という理由で仕事を頑張ることは、悪いことではないけど、やはり、その行為そのものに“心”を込められていないと、その人の技術って、それ止まりのような気がします。

それで言えば、アーティストも同様。

はじめは、人気者になりたい、お金持ちになりたい、モテたい、といった理由から始める人も少なくないけど、最後は、本気で“その道”を極めたいと魂を込められるか否かで、差が出てくる。


結局、「魅力的になりたい」という思いも、純粋にそれを目指すことに心を込められているか、単に「人に好かれたい」だけかで差は出てくる。

誰のためでもなく、<自分のため>にそう思えるのか。

それが、「自分を愛する」ということですしね。

その行為自体に心を込めない人の成長は、限度がある。

例えば心の成長には、時に「やせ我慢」が必要なときもあるけど、自分を本当に魅力的にしたいと思えなければ、その苦しみから逃げてしまうでしょうしね。

どれだけ表面的なことではなく、心を込めて進化することができるのか。そこに人生の深さや濃さも出てくるような気がします。

もっともっと自分を愛して、真剣に生きたいものですね

byコラムニスト・ひかり

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