「信じられる人」とは、どういう人なのか。
嘘をつかない人なのか? いやいや、嘘をつかなければいいというわけではない。
自分の気持ち(欲望)に嘘をつかずに、わがまま放題で自分の意を通そうとする人が「信じられる人」のわけがない。
そういう人は、人として信じられない!(笑)
「正直な人=信じられる人」ではない。
自分の欲望に正直でいるために、人を裏切る人もいますしね。
もしかしたら、信じられる人とは、「相手を尊重し、極力傷つけないように気遣うことができる、優しい人」をさすのかもしれない。
言い換えれば、「誠意のある人」というか。
だから、相手を傷つけないためなら、多少、嘘をつくこともあってもいいかも。(単に保身のための嘘でなく、相手のためにつく優しい嘘であるなら)
でも、それができるかどうかは、その人の心にどれだけの「文化」があるかにかかっているかもしれません。
単に自分のメリット、デメリットだけで物事を判断したり目先のことだけでジャッジするような人には到底、難しいことかも。
なぜなら、「信じられる人でいること」は必ずしも、楽な生き方ではないから。
世の中、「バレなきゃいいや」精神で、生きている人は少なくない。
そういう人は、「自分を偽って、信じさせようとしている詐欺師」みたいなものであって、「信じられる人」ではない。
信じられる人でいるためには、自分も自分を信じなければいけない。
それは、意外と簡単なことではない。
自分の心の弱さにも勝たなきゃいけないから。 それでも、そういう人でいることを選べる人は、自分の中に何かしらの信念や美学がないと難しいと思う。
信念や美学は、やはり心に文化がないと身につきにくい。 損得や数字ばかりにこだわらずに、人間の不完全さや日本のわび・さびの大切さも理解できてこそ、「一見、無駄なことも、人生においては大切なものであること」を心から理解できるような気がするから。
やはり人に優しくなるためには「想像力=相手の立場に立って物事を考えること」が大切だから、たくさんの作品、物語に触れることで、より人の気持ちを想像できるようにもなるでしょうしね。
単に「成果を上げる人なのか」、「自分にとってメリットがある人なのか」なんてジャッジではなく、相手は「信じられる人なのか」といった見る目を持つことは、いい人間関係を築くためには、とても大切なことだと思うのです。
そのためには、まずは自分も相手にとって「信じられる人」にならなければいけない。
人を信じたければ、まずは自分が信じられる人になって、信じるべき相手を見極められる人になる必要があるのかもしれませんね。
<追伸>
ズルい人には、同じようにズルイ友達しかできません。そうでない人は、付き合うのを避けるから。 だから、ズルい人は、いくら友達がいたって、友達もズルい人なので、色々と苦労するでしょうね。
やはり類は友を呼ぶし、似た者同士で集まるからこそ、自分がやった行いは、自分に返ってくるんですよね。 気を付けたいものです。
byコラムニスト・ひかり