相手の本質が見える行為というのがあるものです。
先日、 松坂桃李 さん主演の映画「娼年」を見ました。(※R18+の“大人”の映画です)
この映画では、人の欲望の奥深さや、“営み”が単なる行為なのか、心の交流なのか、は自分と相手の関係次第であることがよく描かれていました。
主人公・リョウは娼夫になることで、女性の奥深さを知っていくのです。
(※今回はHを連呼する形になるので、敢えて、“営み”という表現にします)
私自身、“営み”を語れるほど、経験豊富というわけではありませんが、つくづく思うことがあります。
“営み”ほど、その人の本質、そして相手の自分への思いが感じる行為はなかなかないのではないか、と。
私にとっては、誰とでもするような気軽な行為ではないし、そこに愛がなければ、単なる“究極のツボ押しマッサージ”くらいのものに思えてしまうところがあります。
「思い」が加わるから、行為に“意味”が出てくるわけで、対話よりも深い「コミュニケーションが生まれる」というのか。
この映画では様々な欲望の形が描かれていますが、どんな“営み”を好むのかで、その人の本質が見えてくるものです。
例えば、Sなのか、Mなのか、なんかは基本的なことですが、「過去にどんな経験があるから、どういった行為に興奮するのか」なども出てくるものでしょう。
また、相手のやり方によって、相手がサービス精神がある人なのか、好奇心がある人なのか、相手の思いをくみ取れる人なのか、逆に、独りよがりな人なのか、つまらない人なのかが、ある程度分かってくるところもあるような気がします。
だからこそ、すごく奥深くて興味深い行為でもあるんですよね。
だから、単に欲望の排泄的な行為に過ぎない程度の人って、もったいないよなぁ、とも思います。
それで言えば、巷にあるAVは、そこに文学的な要素も思いもなく、ただただ欲望の排泄的な行為であることも少なくないから、作品としての面白みは少ないもの。 だから、AVを見本にしてそれに似たような営みばかりをしている人は、ちょっともったいないかもしれません。“営み”の深さを楽しんでいないから。
ここに出てくる“営み”にはどこか美学があるから、面白みがあるというのか。(もちろんフィクションだから、そういう面が多くあるのはもちろんですが) 恥かしがらずに、もっと男の人は女の人の体を、女の人は男の人の体を知ろうと思うことも大切だよなぁと。
だからこそ、“営み”によって、相手のサービス精神や好奇心、愛情の深さが分かるというのか。
・・・と結構、真面目に“営み”について語っていますが(笑)、こんな話を、「やらしい」で片づけてしまう人が、一番やらしいのかもしれません(苦笑)。 その行為に意味を持つ人にとっては、そんな単純な行為でもないから。
お互いをさらけ出す行為だからこそ、究極のコミュニケーションであり、心の奥底にある思いを通い合わせられるものにもなり得るものですしね。
極端な話、自己をさらけ出さない人、相手をきちんと見ていない人の“営み”は、1人でする行為とそんなに変わらないとも言えるかもしれません。それでは、本当の意味での“営み”の醍醐味は味わえないかも。
主人公のリョウも経験は積んでいても、1人の行為と変わらないような“営み”を繰り返していた中、ある女性に出会い、娼夫になっていきます。そして、女性というものを深く理解するようになり、彼女たちの欲望を満たすだけではなく、心の傷も癒していくんです。
◇
ただ、これはあくまでも作品の中の話なので、ご注意!
この作品では美しい男女しか出てきません。ある意味、“大人のメルヘン”のような世界です。
この作品のリョウのようにイケメンで女性のあらゆる思いを受け止められる娼夫は“ファンタジー”に過ぎないでしょうし、逆に男性の中で、「リョウみたいになりたい!」なんて思う男性がいたとしても、実際は、こんな美しい女たちばかりを相手にすることはないでしょうね・・・。
だから、物語の中だけで味わうのにちょうどいいお話とも言えるかも。
(※実際に、こういったサービスは、違法行為になりますしね)
作品は作品として楽しんで、リアルな経験は愛する人ときちんと心を通わせてしたいものですね。
byコラムニスト・ひかり