別れてしまうのって、意外と簡単なことなのでは?と思うことがあるんですよね。
もちろんお互いを傷つけ合うくらいであれば、離れた方がいいこともありますが、傷つけ合わない手段だってあるわけで。
少なくとも、自分は相手を変に攻撃しないだけでも、(※距離を空けるだけにして)変わってくることってあると思うんですよね。
そんな考えになったのは、やはり自分の両親を見ているからかもしれません。
私の両親は離婚しているけど、どちらも再婚をしていないし、今も年末年始やそれぞれの誕生日には家族で集まります。
気性の荒かった性格も歳と共に丸くなり、相手がいたおかげで今の幸せがあると、感謝の気持ちすら抱いています。
私が中学時代のころから別居をしていますが、その頃はホントに喧嘩ばかりで今のような穏やかな関係なんて想像もできませんでした。
それくらい人は変わるし、関係も変わってくるのです。
もちろん相手の心根が腐っていたら、長く関係なんて続けない方がいいし、(その前に、自分の“見る目”を反省した方がいいけど・・・)新たな相手との関係の方が自分には合うと思えば、もちろんそっちにいった方がいいこともあるかもしれませんが、長くつながっているからこその良さも、やはりあるような気がします。
ここまでくると、離婚をしていても、何があっても別れることはない、という安心感が、両親共にあると思うんですよね。 もちろん子供の存在も大きいとは思いますが。
うちの両親みたいに、パートナーという関係は解消して、つながっている関係は、ある意味、「別れた夫婦」ではありますが、私から見ると、“新たな形を選んだ元夫婦”という感じがしています。
長い月日をかけて、ようやくこの関係に落ち着いた、というか。
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だから、相手に執着を持つ、なんて意味ではなく、「長く続けられるのであれば、頑張ってみる」のって、大切だなぁと思うんですよね。
別に一緒に暮らさない夫婦になってもいいし、お互いに公認なのであれば、場合によっては、恋人を作ってもいい、とも思いますし。(ま、そこまで許せる夫婦も珍しいでしょうが)
もともと結婚は努力と忍耐が必要なんて言われますが、そこを乗り越えると見える景色ってあると思うんですよね。
少なくとも、自分にとって都合が悪い部分があるから、別れる、なんてことではなく、そこも乗り越えてみると関係も随分、変わってくるというか。(とはいえ、DV、浮気、借金などは我慢しない方がいいこともあるし、完全に人として嫌いになってしまったら、離れた方がいいこともありますが)
基本、自分以外の人間を変えることはできません。 でも、それは「直接的に変えることはできない」という意味であって、場合によっては、変わることもあります。
それはどういう意味か?というと、大概の人は、自分は変わる気ないまま相手ばかり変えようとするんですよね。それでは相手が変わるはずはない。 自分が変わることで相手も変わってくることが多いんです。
更に言えば、相手の気持ちを大きく変えたければその分、自分も変わらなきゃいけないんです。
それが分かると、行動も話す言葉も変わってくるし、2人の関係も改善されるところってあると思うんですよね。
できることなら、“しぶとく”関係を築きたいものですね。
byコラムニスト・ひかり