■正しさを張り合ったら、正しくなくなる
つくづく思うんです。
100人いたら、「正しさ」は100通りあるのだと。
だから、相手を間違っている!なんて攻撃しても、相手も相手で正しいと思っているのだから、同じように攻撃されるもの。
「正しさ」を巡って、お互いを傷つけ合う、なんて、くだらない「過ちを犯す」という矛盾が生じてしまうのです。
どんなに親しい相手であっても、「正しさ」は同じではない。
逆に同じだったら、気持ち悪い。
みんなそれぞれ、自分の人生、生き方において、自分なりの正しさが生まれてくるのだから。
だから、自分の正しさを押し付けずに、どう折り合いをつけられるのか?相手はどうして、この正しさを主張しないといられないのか?も、冷静に考えたほうがいいかもしれませんね。
相手の立場に立った時に、見えることもありますしね。
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どうして自分の正しさの正当性を見出さずにはいられなくなるのか?
それは、実は、自分の正しさに自信がないからです。
だから、自分とは違う人を攻撃して、自分の正しさに自信を持ちたい。
でも、この世に正しいも間違っているも、実は存在しない。
人によっても、立場によっても変わってくるもの。
ただ、一つ正しさを挙げるとすれば、自分も相手も愛すること。これに尽きるんですよね。
ただ、これだって現実的には難しい。
例えば、私たちは生きていくために、牛や豚を食べることだってある。でも、動物愛護の人にとっては、それは愛のない行為だったりもする。
逆に、村に山から熊が出てきて人を襲っているのに、やっつけなかったら、こっちがやられてしまうことも。そんなときは、「愛のない行為」というだけでは片づけられない。
では、これはよくて、あれはダメだというボーダーラインは?
結局、人それぞれ。
愛だけで生きていけるほど、この世の中は純粋ではない。
贅沢することを望まなくても、生きているだけで、物質(お金、食べ物など)が必要となる。
私たちは物質的な存在であるからこそ、限界もある。正しさにも矛盾が出てくる。
結局は、折り合いをつけるしかない。
相手を間違っていると攻撃をするのではなく、相手の意見を受け止め、お互いが納得する答えを出す。
これしか方法はないんでしょうね。
自分も正しい。相手も正しい。そして、自分も間違っているし、相手も間違っている。
そんな気持ちをベースに持って、人と接したいものですね。
byコラムニスト・ひかり