■万人に好かれるなんて、無理!
大概、「人に嫌われたくない」 「たくさんの人に好かれたい」 なんて思うと、苦しむものなんですよね。
だって、当たり前だけど、 魅力的に生きていたって、万人に好かれるわけではないんですよね。
例えば、後ろ向きな人は、 前向きな人が苦手なことも多いし、 ズルいことばかりしている人は、 正しいことをしている人に嫉妬するもの。 いてもいなくてもいいくらいの 存在だったら、 嫌われることもないかもしれないけど、 「この人がいい」と思われるほどの 好かれ方もしないもの。
個性があればあるほど、好きな人もいる代わりに、嫌いな人も出てくるものなんですよ。
むしろ、自分のアンチがでてきたときこそ、 ようやく自分の個性が出てきたのだと 思った方がいい。
万人に好かれているうちは、光の世界にいる人にも、闇の世界にいる人にも嫌われていないってことだから、グレーくらいの世界に自分がいるってことですからね。
大概、闇の方に心を向けている人は、 自己嫌悪で自分を受け入れられず、自分よりも優れている人に対して嫉妬するもの。
仮にそんな人に好かれるとは どういうことか?というと、 「この人は安全パイだ(自分よりも下だから大丈夫)」 って思われているってこと。 だから、好かれたって 意味ないんですよ。
そういう人の「好き」は 相手に向けているのではなく、 「自分にとって都合がいいから好き」 くらいのものだから。 それが、自分で自分を受け止め 愛せていない人の傾向だから。 (=人を本当の意味で愛せるほどの 心の余裕がない)
逆を言えば、 そういう人の「嫌い」というのも 本当は相手に向けているわけでは ないんですよ。 本人も気付いていないかもしれないけど、「自分のことが嫌い」なんですよね。
だから、そういう人と 同じ土俵に乗って、 「嫌われたくない」なんて 思っていても、しょうがない。
■スピリチュアルから見えること
この世界はどんどん 光と闇が二極化が進んでいる なんて言われるものです。 それもそうだろうな、とも 思うものです。 自分が光か闇か しっかり分かっている人ほど (個性が出ている人ほど) もう片方の人とは合わなくなってきますしね。
だから、光の人は 光の人たちでかたまり、 闇の人は 闇の人たちでかたまるようになってくる。 (「類は友を呼ぶ」というように)
さらに、一昔前のように みんなでテレビを囲んで 同じ番組を見るなんて環境ではなく、 人それぞれにネットだったり、 YouTubeだったりと 触れる情報も変わってきている。 もちろん自分に合う情報というのも、 基本、自分が振れていて心地よいと 思えるような情報だったり。
だから、光の人は明るい情報を求め、 逆に闇の人は、 他人をこき下ろすような情報で 自己嫌悪を癒そうとする。 (自分はこれでいいんだ、と安心したい)
日々、触れる情報によって 思想が影響を受けるから、 どんどん光の人と闇の人で 価値観が合わなくなってくる。 だから、二極化が進む。
だから、人気者というのも、 実は微妙なところもあるんですよね。 グレーじゃないと、そこまで多くの賞賛は得られないものだから。それでもグレーでいたいかどうか、ですよね・・・。
結局のところ、 人生(魂の旅)において、あなたはどっちを目指している?どっちの人間でいたい?って話ですからね。
どうせ目指すなら、 光にいるより多くの人たちに好かれる人になること、(闇の人に嫌われても) の方がよくないですか?
人に嫌われて ショックな時は、 自分を嫌いな相手が どんな相手なのかを よく見てみるといい。 そうしたら、「別にいいや。 この人には好かれなくても」 と思えることもあるものだから。 (とはいえ、 自分が光の方にいることが 前提ですよ?)
「光の人にも、闇の人にも好かれたい」なんて八方美人にならなくていい。嫌われていい人に嫌われたって、どうってこともない。
嫌われることを恐れず、光に向かって歩んでいきましょ!
byコラムニスト・ひかり