サイトアイコン HAPPY WOMAN NEWS

思想の二極化は、「何を見ているのか」の違いが原因

■日頃、見ている世界によって、思想は変わる!

ここ最近は、コロナ禍で会えなかった、色々な人たちを再会をしています。
2年以上ぶりという人も何人もいます。

しばらく会っていなかったからこそ、「日頃から色々なことを調べて、裏側まで見ようとしている人」と「そうではない人」では、話す内容が随分違ってきてしまいました。

私は前者タイプなので、同じく会わなかった間に“色々なことを調べてきた相手”とは情報交換し合って、「怖いねぇ」「お互いに気を付けようね」なんて労い合うのですが、
後者タイプの人は、(自分で調べていないから実感していないので、しょうがないのだけど)、私がおかしなことを言いだしている、みたいな印象を抱かれてしまうことも。

そのとき、ふっと思ったんです。
「あぁ、相手とは『見えているもの』が違うのだ」と。

「どんな思想を持てば正解」という話ではなく、そもそも見えているものが違うから、意見が違うのは当たり前のこと。

その中の1人には、「なぜ、自分で調べようとしないの?」って聞いてみたのですが、「こわいから見たくない」のだとか。
不安になるもの、気分が悪くなることは見たくない、ということなのでしょう。

でも、個人的には、見ないほうが(知らないほうが)、もっと怖いことだと思うのだけど……。

まあ、それも含め、その人の「選択」なのだから、私がとやかく言うことでもないので、一応、情報は伝えつつ、あとはお任せするしかないのですよね。
みんなそれぞれ、自分の選択の責任は、自分でとるしかないですしね。
(無理して相手に話を合わせるだけでは誠実ではないし、相手に何かあった時に自分が後悔しそうだから、一応は話すようにしているのですが)

ただ、つくづく感じることは、人は、日頃から接しているもの、見ているもので「思想は作られる」のだということ。
(見ているものが違ってしまったことで、思想が合わなくなったとも言えるわけで)
だからこそ、自分が日頃何を見て、何と接するのかって、本当に重要なんですよね。

この世界には、あらゆる情報が流れてきます。
受け取ろうなんて思っていなくても、テレビをつけていたら、そして、SNSを見ていたら、自然と情報が流れてきます。
そして、少なからず、影響を受けていきます。

だからこそ、自分が何を見て、何と接するのかは、きちんと意図して「選択しなくてはいけない」のです。

情報に受動的になっていたら、(自分たちに有利な)情報をたくさん流せる(お金のある)人たちによって、思想が刷り込まれていきますしね。

そして、情報を選択するだけでなく、「自分でも考えること」が大事。
今は、180度違う情報が(わざと)飛び交っているから、自分で考えないと、振り回されてしまいますしね。

見ている世界が違ったら、思想や意見が違うのは当たり前のこと。

できることなら、自分の思想は、受動的ではなく、能動的に作っていきたいと思うものでした。

byコラムニスト・ひかり

モバイルバージョンを終了