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私たちが「死別」を通して学ぶこと

「大切な人との死別」ほど、心を苦しめるものはありません。

死ぬのは相手だけど、死別は、残された者にとっての試練なんだと思うものです。

私の友人でも2人、パートナーに先立たれた人がいます。1人は自殺、1人は急死(心不全)。どちらも急なお別れになったこともあり、残された人としては、現実を受け止めるまでにも時間がかかりました。

もし「死別」が、残された者にとっての試練なのであれば、一体その出来事を通して、私たちは何を学ぶべきなのでしょうか?

1つは、当たり前ではありますが、「命は永遠ではない」ってことでしょうね。

それは、今は死とは無関係で生きている私たちですら、いつ死ぬか分からない、ってこと。死があるからこそ、「どう生きるか?」が問われるわけで。

死んでから「あれをやっておけばよかった」なんて思わないためにも、日々、できることはやっておいた方がいいし、老後ばかり不安がって、日常を楽しまないで生きるよりも、「今も楽しむ」ように生きることは大事でしょうしね(だからって、貯金をするな、といっているわけではないですよ?)。

スピリチュアル的なことで言えば、寿命(死ぬタイミング)は、生まれてくる前に決めてくると言われるものであり、もし本当に私たちが魂を磨くために生まれてきているのであれば、死ぬときは、「今生で学ぶべきことは学び切った時」とも言えるので、(人によって学ぶレベルは違いますが)ある意味、神様からは、「よくできました!」という花丸をもらった状態である、とも言えるものです。

死んだら痛くもかゆくもなくなり、肉体を持つ故の苦しみもなくなりますしね。

だから、亡くなった人を心配したり、可哀想がったりする以上に、残された私たちが、亡くなった人を心配かけないようにどう生きていくのか、の方が大事なのかもしれません。きっと亡くなった方は、私たちを見守ってくれているでしょうしね。

そう言えば、そのパートナーが亡くなった友人は、そのあと運命の人と出会い、1年後くらいに結婚しました。それだけではなく、それまで彼女が抱えていた色々な問題も解決し出して・・・。

私はその時、「彼(←亡くなった彼)らしいな」なんて思ったものです。ちゃんと見守っているなって。

残された私たちも、いつか死ぬ時が来る。必ず来る。

この命の卒業がくるまで、精一杯生きたいものですね。それを先立つ人が教えてくれているから。

byコラムニスト・ひかり

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