立場や思いによって、物事の認識が変わってくるもの。
認識が違うということは、その人によって真実も変わってくるものなんですよね。
それは、恋愛でも言えること。
例えば、相手が「好き」だと言ってくれた場合、言われた方は「両思い」だと喜んだとしても、実は言った方は、もっと違う思惑だってあるかもしれません。(とりあえず、キープしておこうくらいの気持ちで言っている、とか)
結局、人の腹の内は本人でしか分からないし、中には本人ですら気付いていないこともあるので、真実を知るというのは難しいことですし、人の数だけ、真実があっても、不思議ではないんですよね。
ときどき、恋愛のお悩み相談で、「彼は私のことを好きなのでしょうか?」と聞かれることがありますが、一番誠実な答えは何かと言えば、「本人(彼)ではないと、分かりません!」ということかもしれません(苦笑)。
すでにお悩み相談の内容は、相談者の方のフィルターがかかっているから、その出来事は、違う立場の人から見たら違う意味合いがあったり。
だからこそ、恋愛は希望的観測で物を見れば見る程、現実からズレてくることもあるんですよね。
だから、真実を求めることにそこまで意味があるか、というと、どうせ、分からないものなのだから、そんなものよりも、「自分にとってその出来事はどういうものなのか?」の方が重要だったりします。
相手が自分のことを好きではないにしても、自分はまだ好きなら、どうするのか?本当に相手を好きになった時は、どんな行動をするべきなのか?諦められない時は、どんな行動をとりたいのか?
そうやって、自分の人生を自分が納得するように作っていくことが重要なんだと思います。相手気持ちばかりをさぐっていないで。
逆に、周りの人に「彼はあなたのことを好きじゃないよ」と言われたからって諦めきれるのか、って話ですよね。
分かるはずもない相手の気持ちばかりを探っているくらいであれば、ハッキリ告白して、相手の気持ちを聞いて、自分が納得する方向にもっていくしかないですよね。
フラれたときは、もちろん恋人になることには諦めなくてはいけないけど、単に相手を好きでい続けることは悪くはない。友達として仲良くすることで納得できる人もいれば、他に好きな人を作ることで、恋を終わらせられることで納得する人もいる。自分はどうするか?なんですよね。
真実というのは、分かりにくいもの。だからこそ、真実よりも自分がどうしたら納得できるのか、の方が重要。
そんなことを思うものです。
byコラムニスト・ひかり