結婚する前に、気付いた方がいいことがあるとすれば・・・
それは、結婚する、家族になるというのは、自分の中で「家族でい続ける」のだと覚悟することが維持し続けるために重要である、ということ。(何となく流れで結婚するのではなく)
それこそが、本当の意味で「家族になる」ということのような気がするのです。
だから、「夫婦なんて赤の他人」なんて軽々しく言っちゃ、ダメなんですよね。 「それでも、自分のパートナーなんだ」「ずっと一緒に人生を歩む相手なんだ」って決意をしていなければ、何かあったときに「他人になる道もある」と頭をよぎってしまうから。 もちろん離婚が悪いとは言わないし、むしろ離婚した方がいい関係もあるけど、(DV、借金、浮気など)「愛が冷めた」だの、「他に好きな人ができた」だの、そんな内容で、簡単に別れてしまう人もいるもの。 そんな「家族でい続ける覚悟」がないなら、結婚なんてしない方がいいこともあるのかも。
離婚する可能性は高いし、離婚をするのは、すごく大変なことですし。 それは逆を言えば、「私たちは家族なんだ」と家族みんながずっと自分に言い聞かせることができたら、どんな障害があっても、乗り越えられることもある、ということ。 そんな家族になってこそ、結婚しがいがあるとも言えるのかもしれません。
例えば、竹ノ内豊さん主演の映画 「at Home」 は、 「血のつながりのない家族」は家族になれるのか?を問う作品になっています。
辛い過去をもつ人たちが集まり、犯罪をしながら、家族として生活を送るストーリー。この作品は是枝裕和監督の映画「万引き家族」と似たような設定ですが、 「万引き家族」 よりも前の2014年に公開された映画のようですね。
ふと「似たような設定なのは、どうしてなのだろう?」と考えると、日本の場合、血のつながりを重視する国民性なので、映画などの作品で“血のつながらない家族”を描くときには、何かしら理由づけがないと血のつながらない人たちが家族になる意義に観客が共感しにくいところもあるのかもしれません。
(ここの家族はそれぞれ、幼児虐待、夫からのDV、義父からの性的虐待、外面ばかりの親など、血のつながりのある家族とは一緒にいられない事情があって、寄せ集めのように家族になった形)
また、物語にはなにか出来事が必要となるため、“犯罪で生計を立てている”という設定が映画的なところもあるかもしれません。
あくまでもフィクションの話なので設定などは置いといても、この映画のように「普通に生活を送る血の通わない人たちが集まる家族がいても、いいのではないか」とも思うのです。
それこそ「自分たちは家族になるんだ」という強い意志と思いやりがあれば、血がつながっていなくても、家族になっていくところもあるような気がします。(家族という表現が不自然であれば、「仲間」という形でもいいでしょうし)
逆に血がつながっていても、一緒にいて傷つけ合ってしまうのであれば、家族の縁を切った方がいいでしょうし。
はじめは“家族ごっこ”のような形でも共に月日を過ごしていくにつれて、本当の家族になっていくような気がします。
そのときに、「結局、赤の他人だし!」と思うようでは、関係は維持できないと思うのです。 どこまで「私たちは家族なんだ」と思い込むことができるか、信じ切ることができるか、それこそが、家族の関係を維持する秘訣のような気がします。
そして、家族がそれぞれ自分の家庭での役割りをきちんと果たしていったら、「家族が成り立つ」ところってあるように思うのです。
それと同じように、もし結婚するなら、「この人は自分の夫(妻)なんだ。家族なんだ」ときっちり自分に言い聞かせることが大事なんだと思います。
それがないから、なにか都合が悪くなると、(また他に好きな人ができてしまうと)離婚という形になってしまう。
そんなの、「もともと家族ではなかった」とも言えるのかも。 それは、自分が、そして相手が「家族にしなかった」からだと思うのです。
単に籍を入れるから、「夫婦になれる」わけではなく、(法律上では夫婦ですが)2人が「家族になる」と決意するから家族になれるのだと思うのです。
そして、家族も「人間関係」だから、きちんと築いていくことが大切なんですよね。
だから、結婚する前に、知っておいた方がいいことがあるとすれば、「家族になる」という強い意志こそが一番大切である、ということ。
そうしたら、血がつながっていなくても家族になれると思うから。 家族って、「血のつながり」とかそんなことよりも、「思いのつながり」の方が大切なのだと思うんですよね。
「結婚する=家族になる=家族になるという強い意志が重要」ということなんですよね。“本物の家族”になりたいものですよね。
byコラムニスト・ひかり