「神様は乗り越えられない試練は与えない!」と信じて、勇気を持って取り組んでみることが大切。
自分がもっともっと幸せになれることを信じて、突き進むのです。
人はツイてないときこそ学ぶことが多く、それが魅力になるもの。
いつか「あんなこともあったなぁ」と笑える自分になるように、乗り越えましょう。
byコラムニスト・ひかり
幸せになりたい女性に向けた情報サイト
by hikari
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私は、ブログやコラムなどで、不倫や浮気について、「思いやりのない行為」であると書いています。
でも、意外と思われるかもしれませんが、周りに不倫をしている人がいても、本人が相談に来るまでは、放っておきます。わざわざ説教もしません。
もちろん、お悩み相談などをいただくときには、相手は何かを言ってほしくて相談されていることが多いので、厳しいことを言ってしまいますが、普段、日常的にそういう人がいても、とやかく言いません。
大人なんだし、そういったリスクをすべて抱える覚悟でやっているのだから、大変だな、とは思うけど、その人が悩み、苦しみ、相談してこない限りは、言う必要を感じないんです。
その人は、そういう恋を選んでいるだけなのだから。その分、苦悩も背負っているのだから。
◇
「正しさ」をアピールする人の中には、本当はそういう正しい行為をしたくないのに、無理してそうしている人もいる。
そういう人は、自分が我慢している分、周りの人にも「正しさ」を押し付けてしまっている。
本当のことを言ってしまえば、「正しい」「正しくない」ではないんですよね。
自分がやった行為に伴うことが自分に返ってくる。
この世界は、それに尽きるんです。
欲望にまみれた恋愛がお望みなら、それをしたっていいと思うんです。
その代わり、それを選択しただけのものが、自分に戻って来るだけのことなんです。
本当の幸せとは程遠い行為だけど、今、その人が人生において、それが必要でしょうがないのであれば、そこから経験をすることで、得なくてはいけないこともあるんですよね。
◇
例えば、私が清々しい関係を望むのは、我慢をしているというよりも、そっちの方が自分にとって幸せだと思う選択をしているに過ぎないんです。
あと、愛とはどんなものか分かってしまったからこそ、なおさら欲望に左右されることはなくなったというか、そこに本当の愛(自分勝手な恋愛の愛とは違うもの)が伴わないと、私には意味を感じられないから、「だったら、プラトニックな関係を維持しよう」と思うこともありますしね。
プラトニックな関係を維持することの方が、本当の愛に近い行為であることも、時としてありますし。
欲望は人を狂わせます。
欲望を愛だと勘違いする人もいます。
だから、Hをしなくても、一緒にいたいと思う男女の方が、不倫カップル、浮気カップルよりは、私には貴重に見えてしまうことも。
Hは気軽にするものではないけど、ハッキリ言ってしまえば、Hそのものにそこまでの重きを置いてないし(※誰とでもするという意味ではなく!)、それよりもお互いの中にどんな愛があるのか、の方が、重要に思える、それだけのこと。
だからと言って、肉体だけの関係を望む人、不倫している人、浮気している人を特別に批判したりはしません。(私には関係ないことですし)
その人はリスクを負って、それを選択しているだけのことですし。
◇
私のコラムでは、その欲望に付随するもの(自己嫌悪、後悔、心の弱さなど)を合わせて書いているに過ぎません。
不倫は、「思いやりがない行為」とは書くけど、逆を言えば、「不倫は思いやりのある行為」とは誰も思わないわけで、事実を書いているに過ぎない。
でも、「あなたは思いやりがない」とは書いていない。
(※例え、あなたと書いたとしても、読み手の人とは、実際に会ったことがないのがほとんどなので、特定の人に向けて言っているわけでもない)
別に不倫している人を責めているわけでもないし、読む人が勝手に解釈すればいい。「私のパターンとは違うわ!私は純愛よ」と思う人は、思えばいい。
ただ、もし私のコラムで責められていると思う人がいれば、それは、実は「自分」が自分を責めているのだと思うのです。
そこには気付いた方がいいでしょうね。
◇
「醜い自分を見るのも、もう嫌。
もっと自分を好きになりたい。
自分を誇りに思いたい。
もっと心を明るいところにもっていきたい」
そう本気で思えるようになったとき、人は選択するものが変わってくるような気がします。
不倫、浮気で言えば、相手に恋人や奥さんと別れてほしいと思いながら、付き合うことが楽しいわけがない。
相手のズルさを感じながら、相手を受け止めることが、幸せなはずがない。
諦め、不安、嫉妬、そんなものが詰まった恋愛で、安らぎがもてるはずがない。
そんな恋愛が、孤独を本当に癒せるはずもない。
◇
バカ真面目だと思われたとしても、清々しい関係の方が本当の幸せには近い。
ただ、そういう恋愛をしている人を見下しはしない。
相手は相手、自分は自分なだけ。自分は清々しくいけばいいだけ。
それだけのことなんです。
人間、とことん苦しんだら、あとはその苦しみから抜け出すしか方法はなくなるもの。
ある意味、苦しむことも、大事なレッスンなんですよね。
だから、もし自分の正しさを押し付けたくなったときは、逆に自分が今、無理していることにも気づいた方がいいかも。
正しさって、人に押し付けるものではなく、自分はその方が心地よいからそうする、
その程度でいいような気がしますよ。
(もちろん、浮気されたり不倫された当事者、大事な人がそれで苦しんでいるときは、怒っていいとは思いますけどね)
byコラムニスト・ひかり
by hikari
人は、いつでもずっとポジティブで元気でいられるわけでもなく、なにかひょんなことがきっかけに、心の闇ののみ込まれそうになることもあるもの。
怒り、悲しみ、孤独・・・。
そんなとき人は、うまくいかない現状のせいにしがち。
恋愛がうまくいかないからだ。仕事が順調に進まないからだ。人間関係がうまくいっていないからだ。
でも、結局、そんなときって、自分に負けているんですよね。
これらの外の環境はもちろん自分のメンタルに影響を与えるものだけど、最終的には、自分の弱さに負けている。
外の環境でメンタルが変わるのであれば、もっと自分が機嫌のよくなる環境に、自分の身を置けばいい。
「仕事がある」だのなんだの言っていないで、そんなときはやったっていい仕事なんてできないのだから、1日、仮病を使ってでも仕事を休んで、ぷらっと遠出をするとか、映画を観るとか、会いたい人に会いに行くとか。
心の闇に溺れそうなときは、家に1人でいたらダメ。
散歩でもいいから、とにかく、外に出た方がいい。
世界は広いこと、自分の悩みなんてちっぽけだということに気付くためにも。
人は、他人と比べると、おかしくなる。
こうなるべきと幸せを限定すると、おかしくなる。
でも、その前に、今、生きていけないほど、本当に不幸なのか?
今、健康で、何不自由なく生きていて、その上で、なにかを求めていることに気付いた方がいい。
つまり、今、実は困っているわけではなく、自分の欲によって、苦しんでいることを。
本当に今、苦しくて苦しくて生活ができないくらい困っていたら、たぶん、悩んでいる暇はない。
人が悩むときはきまって、暇でつまらないとき。
苦しくて仕方がない時は、実は、悩めるほど今、生活には余裕があることにも気付いた方がいい。
そして、苦しめているのは、先ほども言ったように、人と比べたり、理想を自分に押し付けたり、欲ばかりが大きくなったとき。
人間って、自分で自分を苦しめるんですよね。
苦しくて仕方がない時は、結局、人の存在ではどうすることもできず、最後は自分で抜け出すしかない。
吹っ切れる。執着をすてる。
そういった心の殻を破る作業が大切。
思い通りの人生を歩んでいる人など、そんなにいるわけではない。
欲がある限りは尚更。
だからこそ、自分を追い込まずに、上手に生きていきたいものですね。
byコラムニスト・ひかり