「個性を出すこと」と「自己顕示欲を出すこと」の違いをきちんと理解することって、大切ですよね。
一見、同じようなものでありながら、全くちがうものなんですよね。 個性は大事だけど、自己顕示欲は邪魔なものです。
自己顕示欲が強いと、「私は!私は!」と自己アピールをするような作品になってしまうからです。
いい意味で、マツコ・デラックスさんは、個性はあるけど、自己顕示欲は低い方に見えます。
彼女には「自分を良く見せたいという欲」は見えないですしね。そこがスゴイんですよね。
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例えば、恋愛コラム1つでも、筆者の自己顕示欲が高くなると、自分の恋愛話を自慢するようになってしまう。 でも、恋愛コラムの主役は筆者ではなく、読者なんですよね。
読者の恋がうまくいく応援を書かないと、読者にとって役立たないわけで。
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ふと「個性」って何だろう、とも思います。自分と同じ人間なんていないのだから、自分と同じ表現をする人もいないだろうし、自分らしくクリエイトしていくことで、自然と個性は出てくるような気がします。 そうしたら、「私は!私は!」なんてアピールをしなくてもその作品=自分になるわけで。
結局、自己顕示欲が強くなってしまうのは、自分で自分を受け止め切れていないから、人に受け止めてもらうと思ってしまうところが(人に自分を肯定してもらいたい)原因だとも思うのです。
だったら、まずは自分をきちんと受け止め肯定できるようになるのって、なにか表現事をするためにはすごく重要なことなんですよね。
私自身、第一線で活躍されている俳優さんを取材する機会が多いのですが、演技派の方であればあるほど、自分という存在を捨てて、役を取り込むという作業をされています。(自己顕示欲を捨てる行為)
例えば、ある演技派俳優さんは、「自分は依り代のようなものだ」とおっしゃっていました。 また、俳優業を極めたい人ほど、「自分が演じたということがバレないくらいに役に馴染みたい」「仮面をして演じたい」なんておっしゃる方もいらっしゃいました。
そういう方からしてみたら、「“自分”がその作品に出ている」と認識されることよりも、よりよい作品にするために「その作品に溶け込みたい、同化したい」といった願望に変わっていくようです。 そこまでの境地に行ける方は、本当にすごいな、と思うものです。
もちろん性格俳優ではなく、スター級の俳優さんのように、“その人”が色々な役を演じることを望まれるような存在の方もいらっしゃいます。
でも、そういう人も実は、“スター俳優”という仮面をかぶり、本当の自分を隠せる人なのではないか、(自己顕示欲を捨てられる人なのではないか)とも思うのです。
「俺はすごいだろ」アピールがあったら、誰も見たくなくなりますしね。 だから、そういう方も実は、個性はあるけど、自己顕示欲はない方のような気がします。
結局、自己顕示欲を捨てて表現をするというのは、どういうことかというと、最終的には「奉仕をする思い」を持つということなのだと思います。
つまり、愛なんですよね。
だからこそ、自己顕示欲はないけど、個性を持って表現をされる方は愛されるものなのだと思うのです。
表現者に限らず、「愛されたい」から「愛したい」に変わった時、周りの反応は、変わってくるかもしれませんね。
byコラムニスト・ひかり