■スピリチュアルにすがっていない?
私はスピリチュアルな思想は持っています。
でも、スピリチュアルにすがっている人を見ると、やりきれない気持ちになります。
私たちは今、肉体を持ち、この3次元の世界にいる。
だからこそ、想念だけではなく、現実的な行動も大事なのだと。
あるとき、ちょっとスピリチュアル系のイベントがあって、(宗教の集まりではないですよ?)その会場に来ている人たちを見てみたら、優しそうな雰囲気はありながらも、どこか弱さが漂っていて、すがっている感じがしちゃったんですよね。(もちろん、全員がそんな人ではないけど)
ただ、こういう人たちが集まり、スピリチュアル的な人が中心になると、どこか宗教じみたものにもなってしまう。
スピリチュアルの世界を楽しむためにも、精神的な自立が大事なのだとつくづく思ったものです。
神にすがらない。スピリチュアルな能力のある人にすがらない。
スピリチュアル的な思想で言えば、私たちだって、神の一員。対等なはずなんですよ。
出世したい、お金持ちになりたい、結婚したいという思いは単なる「我欲」であることもあるから、叶いにくいこともあるものですが、「この世界をもっと明るくしたい」(自分の仕事を通して人を幸せにしたい、とか)という思想からの願い事であれば、それは、神様にとっても共通の願い。だから、願い事を叶えてくれたりもする。
いや、もっと言えば、自分とつながっている神(本当の自分)がそれは我欲からくる願いなのか、愛からくる願いなのかはすでに知っている。
だから、その人のテーマに合わせて叶えているに過ぎない、とも思っています。(※我欲の願いを叶えることはその人の成長を妨げることだから)
もっとシンプルな表現をすると、愛というものを抱いていたら、愛が伴う現象が起きる、それだけのような気がします。
それは、現実に対する逃げではない。単に「引き寄せの法則」を信じて、現実逃避していたところで、何も始まらない。
いや、引き寄せの法則を信じ過ぎている人は、本当の自分の心の内が見えていない。
だから、「引き寄せていない」とも言えます。
引き寄せの法則で行動を伴わなくても夢を叶えたい、という「弱さ」が今の現実を引き寄せているのだと。
そこに気付かないと、ダメなんですよね。
実際に大事なのは、「人知を尽くして天命を待つ」姿勢。
頭で願っているだけではなく、行動は大事なんですよ。
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最近、スピリチュアルと一括りにしても、、3段階くらい、表現の仕方が違うなぁと思うことがあります。
(1)所謂、昔から伝わる、日本の神様、仏様的なスピリチュアルな思想。
(2)私たちも実は神の子で守護霊や色々な神に守られて、この世界に生まれてきているという思想
(3)ワンネスであり、自分たちは実は1つの無の存在(神)であり、自分の想念で自分の世界を作っているという思想
表現方法、価値観で人間らしさと宇宙らしさの割合が
(1)→(3)になるほど、宇宙らしさの方が増える感じなのかな、と思っています。
ただ、、スピリチュアル云々なんて、どうでもよくて、結局、これらで全て大事なことは、「愛を持って生きよ」に過ぎないんですよね。
正しさというのも、勘違いしがちだけど、「こうでなければならない」なんてものは必要なく、要は行動にも心にも「愛」があるのか?に尽きるのだと思います。
スピリチュアルの神髄は「愛」ですしね。
人に愛を出した時、自分の環境は変わってくるはず。
引き寄せの法則を求める前に、好きな人に「愛」を出した方が恋愛はうまくいくだろうし、出世をしたければ、上司、同僚、お客さんに「愛」を出した方が、現実的にうまくいくはず。
自分が愛を出せないのを誤魔化して、自己都合のスピリチュアルにすがっていないか?というのも、よく考えてみた方がいいかもしれませんね。
自分を愛し、人を愛しましょう!
byコラムニスト・ひかり