■“心の闇”を抜け、光に向かうには?
20代のころの私は、“心の光”のところにばかりいると居心地悪くて、わざと“心の闇”の方に片足を突っ込んでいたところがあります。
自分の心の中に光を増やすのにも、もしかしたら段階があるのかもしれません。
また、“心の闇”を嫌というほど経験することで、ようやく光の方に向けるようになることも無きにしも非ず、だと。
ただ、今思うと、もっと早く光の方に気持ちを向けたかった(=その分、生きづらかったなぁ)と思うものですが…。
もしかしたら、“心の光”について、「綺麗ごとだ」と思う人もいるかもしれないけど、私からしてみれば、一周して、「いやいや、光の方がいいって!」って感じだったりします。
綺麗ごとだ、なんだと言ったところで、それが真実なのだから、しょうがない。
(だからと言って、私は聖人君子ではなく、私も日々、闇の方にいかないように、努めているに過ぎないんですけどね)
■心を光の方に向けるには?
では、心を光の方に向けるためにはどうしたらいいのか?
一般的に正しいと思われている環境に身を置き、清く正しく生きていけばいい?
もちろんそれは、間違いではないし、見るからに“ダークな環境”にはわざわざ身を置かない方が、光の方に気持ちが向きやすいのは確か。
ただ、世の中の一般的に正しいと思われている世界に、“心の光”があるのか?というと、そういうわけではありません。
また、表向きは良い人が、心に光がたくさんあるか?というとそういうわけでもありません。
聖職に就いている人の中にだって、欲深い人はいますしね。
自分を「正しい」と思っている人の中には、正しくない人を見下している人だっています。それはすでに、“心の闇”なんですよ。
では、“心の光”の世界はどこ?というと、結局は、“心の闇”と“心の光”って、どんな環境か、どんな人が周りにいるか、ではなく、自分の心が闇の方に向いているのか、光の方に向いているのか、に尽きるんですよね。
同じ環境であっても、天国にいる人と地獄にいる人がいる。
自分の心次第。結局は、「自分の思いが自分の世界を作る」に尽きるのかも。
例えば、好きな人がいたとしても、「相手を幸せにしたい!」と思えば、心が光の方に向いている。
でも、「相手を自分の思い通りにしたい」と思えば、心が闇の方に向いている。
それは、両想い、片思い、不倫に限らず。
その相手への思いの中に、“心の光”と“心の闇”、どっちが多いのか?それこそが、大事!
心が光の方に向いている人は、どんな環境であれ、心穏やかに幸せでいられる。逆に、心が闇の方に向いている人は、どんな環境であれ、自分を苦しめる。
仕事でも、「自分の仕事で人の役に立ちたい!」と思う人は、心が光の方に向いている。
「自分さえよければいい」と思う人は、心が闇の方に向いている。
どんな仕事であれ、それは同じ。
どんな仕事に就けば幸せか?ではないんです。その仕事を通して、自分の心が光に向けられるか否かが大事なんです。
(※ただ、人に役立てたいと思うのであればあるほど、自分が得意だと思うことを生かした方が相手の役にも立つし、自分自身もその仕事をしたら、楽しくて幸せになれるとは思いますけどね)
私たちが幸せになるために、大切なことがあるとしたら、この一言に尽きるのかも。
「心にもっと光を!」
これは、私自身が散々、“心の闇”と格闘したからこそ、思うことですね。
byコラムニスト・ひかり