■その我欲が、自分を苦しめる!
人は「我」があるから、我欲を持つ。
我欲を持つから、人と比べ、人よりも勝っていたいなんて思ったりする。
でも、その我欲があるからこそ、人はその人に力を貸したくなくなる。
つまり、「我」をなくすというのは、幸せになるために、すごく重要なことなんですよね。
書籍「愛される人の境界線」(KADOKAWA)にも書きましたが、よく「無になることが人の進化で重要なこと」なんて言われるものですが、単に無欲になったって、ダメなんです。
本当の意味で、無になるというのは、「人の幸せが、自分の幸せになる」こと(=我をなくすこと)なんです。
相手の幸せが自分の幸せになるほど、人と自分との間にある差をなくすこと。
「悟り=差取り」というように。
私利私欲のために動いている人を、人は助けたいと思うのか?というと、多くの人が「No!」ですよね。
逆を言えば、我欲ではなく、人々に幸せを提供してくれる人がいたら、手を貸したくなる。
だからこそ、「与える人は与えられる」ようになっているんですよね。
中には、人に与えてばかりいたら、損しない?なんて言う人がいる。
もちろん、我欲だらけの人に与えていたら、利用するだけ利用されることもあります。
またそんな我欲だらけの人に与えてしまうのは、相手のためにもならないんですよね。
与える行為のベースにあるのは、「愛」であるべき。
「愛する」というのは、相手のことをよく見ることも含まれています。
相手を見ないで、相手がなにをしたら喜ぶかなんて、分からないですしね。
自分が相手に好かれたいからやるのではなく、相手の幸せのためになにか大切なことをやってあげられるような人でありたいもの。
そうなるために邪魔になるのが、「我欲」。
例えば、愛を与えず、求めてばかりいる人を、人は愛したいと思えるのか?というと、思わないんですよね。
結局、愛する人が愛される。
それは、<本当の愛>を与えられる人に限る。
結局、最初に言った、「人の幸せが自分の幸せ」だと感じるくらいになるのは、“大きな愛”があってこそ。
結局、人の道の行きつく先は、「愛」なんですね。
心に愛を増やしていきたいものですね。
P.S.
「我をなくす」と言うと、それは「個性をなくすこと」だと勘違いしてしまう人がいます。
でも、実際は、「個性なくさず、我欲をなくす」のが大事なんですよね。
個性(=自分らしさ)は、大切ですよ。
byコラムニスト・ひかり