最近、寝ていて夢を見るのですが、ほぼ毎回、私が“今の私”ではないんです。
鏡に映る自分が、今の私ではなかったり、職業や年齢、場合によっては、性別も違うことも・・・。
でも、“夢の中にいる人物”を私は自分自身だと思っているんです。(全く、疑いもなく。だから、今の自分が住んだことがないような街を「住み慣れた街だ」と思っていたり)
「魂は永遠」というのは、こういうことなのかもしれないな、なんて思うのです。
この「肉体の私」は死んだらなくなるけど、「魂の私」は別の肉体に宿り、また生きていく。
更に言えば、時間というのも幻想だから、(アインシュタインも言っていますし)「今」という瞬間の連続が全てで、この「今」、私は生まれていて、すでに死んでいるのだと思うのです。
そして、今後“生まれ変わる自分”もこの「今」、生まれていて、すでに死んでいるのだと。
だから、今、この瞬間、「魂が自分の何歳のときに宿るのか」といった話、というのか。(それでも年齢の順番通りに宿っているとは思うのですが)
ただ、時間というものが幻想だと実感できない私たちにとっては、これを実感するのは、難しいことなのかもしれません。
ただ、もしそんなシステムなのであれば、「死」というのものを、そんなに怖いものではなくなりませんか?
魂はそのまま“在り続ける”のだから。
死んだら、無になるのではなく、別バージョンの中に宿るだけ。しかも、そのときはその人生を「自分の人生だ」と思い込む、みたいな。
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とはいえ、「そうだとしても、だったらどうなんだ?じゃあ、どうしたら、今の自分は幸せになれるんだ?」と思う人もいると思うんです。
実は、“今の私”という肉体のバージョンにも「色々なバージョンがある」のだと感じているところがあるんです。
例えば、
・結婚している自分
・結婚しないで仕事に励む自分
といった人生的なバージョンことが、いくつもあるといったところから、もっと精神的なところで言えば、
・スピリチュアルに目覚めている自分
・スピリチュアルに目覚めていない自分
のバージョンもあるというか。
これは、パラレルワールド(並行現実の世界)と呼ばれていますよね。
自分のいるバージョンによって、出会う人が変わることもあれば、ある程度の運命も変わったり。(バージョンが違っても共通の運命もあり)
親など、すでに出会っている重要な相手の場合は、自分がいる世界によって“相手自身のバージョン”も違っていることもあるというのか。(それはバシャールも言っていますよね)
親は同じなのだけど、”自分のバージョンが高い世界の親”も同じく精神性が高いというか。
同じく自分の波動の低いバージョンも、他の世界では存在していて、“今のバージョンの自分”とは違う言動をしているのかもしれません。
だから、どこに自分の魂を宿るのか、に尽きる、というのか。
おそらく“いいバージョン”の自分にコツは、「波動」だと思っているんです。
いい波動になるように自分の思いを変えていく必要もある、というのか。
「自分の思い=魂の本質」みたいなところもありますしね。だから、魂の宿るバージョンも変わってくるのかも?
少なくともこの記事を読んでいる人は、「令和」という新たな世界を選んだのかもしれません。(別のバージョンではまだ「平成」だったり、中には戦争が起こっていることも・・・?な~んて。)
どこまで真相を探ればいいのかは、正直言うと分かりませんが、(何度も言うように、だからなんだ?って話にもなるし、それは死んでみてから分かることもあるでしょうし)ただ、“現実”を変えたければ(しあわせな現実で生きたければ)、やはり自分の思い(波動)を変えていくことが重要なのだ、ということなんだと思うのです。
スピリチュアルを信じようが信じまいが、パラレルワールドを感じようが感じまいが、いい思いを抱いて、波動を上げておくのは決して損することではないので、上げておきませんか?
自分の波動が、自分の世界を作るものだから!
byコラムニスト・ひかり