■選択制夫婦別姓について
選択制夫婦別姓については、個人的には、“選択制”なのだから、自由にさせてほしい、というのはあります。
そんな国が、個人の苗字までどうするのかを縛る権利があるの?と思ってしまうのです。
とはいえ、個人的には「まあ、そのうち選択制夫婦別姓になるんだろうなぁ」とは思っています。
「みんな別姓にしろ」ではなく、「したい人はOK!」とするだけですしね。 そんな自由を与えない国って、やはりおかしいと思うから。
まあ、同時進行で、女性が結婚しても、姓を変える手続きが全く必要なくなれば(マイナンバーに旧姓が記載していたら、運転免許証も、会社の登記も、不動産も株も全て旧姓のままでOKとなれば)、「苗字を変えなくていいわ」と思う人もいるはず。
だから、もし政治家がなにかポリシーがあって、そんなに夫婦別姓にする国民を増やしたくないなら、「選択制夫婦別姓の容認」と「同姓でも、姓の変更手続きを不要にすること」を両方実現すればいいだけで。
「縛り付ける」のではなく、「選択は自由だけど、それなら、別姓でなくてもいいや」と思わせられるような仕組みを作れるような、そんな国であってほしいものですよね。
夫婦別姓にしたくない人の中には、夫の苗字になると残念なフルネームになってしまうから、という人もいれば、画数が悪くて、運が悪くなりそうだからという人もいるでしょうね。
そういうのを大切にするのがその人のポリシーであるなら、それは認めてあげたいところはあるもの。
ちなみに私の母は、父の苗字の方が画数がいいから、離婚しても苗字を変えなかったというパターンなので、そういう意味で、逆に同姓にしたい人もいるでしょうね。
それで言うと、私のフルネームは、字画がいいんですよ。祖母がそういうのを意識して、つけてくれたようで。
だから、苗字を変えたら、画数が悪くなるようなら、変えたくないなぁなんて思うところも心のどこかにあったりします。(ま、その前に結婚するのかどうかは不明ですが・笑)
やはり、苗字を変えるかどうかって、すごくパーソナルな事情も色々あるから、自由にさせてほしいですよね。
「夫婦の一体感が弱くなる」とか「子供が可哀想」とか、そんなのも、すごくパーソナルなことだから、国がとやかく言うことでもないというか。
逆に100歩譲って、それで一体感がなくなっても、それも「自己責任」でしょう。自分で別姓を選択したのだから。別姓くらいで壊れる夫婦だったら、苗字に限らず脆いとは思ってしまいますが…。
何度も言うように、進めようとしているのは、「選択制」ですしね。強制的な別姓ではなく。
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正直言うと、選択制の夫婦別姓を反対する女性の中には、「私も大変な思いをして苗字を変えたのだから、あなたも変えなさいよ(ずるいわ!)」みたいな感情を感じるところもあるんですよね。
でも、そういうのって、自分と同じ環境でいない人を否定する人と近い感覚というか。
もう、そんな時代じゃないって!
みんな、生き方もそれぞれで、私は私、あなたはあなた、生き方が違くても、それはそれでOK!という、そういう時代ですよね。
だから、こんな「選択制夫婦別姓」で揉めているのを見ていると、まだこの国の精神性はその段階なんだ?と感じてしまうところがあるんですけどね。
何はともあれ、国民に選択の自由を!と思うものです・・・。
byコラムニスト・ひかり