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片思いの切なさから抜け出す方法

■片思いから抜け出すには?

片思いは切ないものですよね。そこから抜け出す方法は、必ずしも「両想いになること」ではないんです。

それ以上に大切なことは「本当に愛せること」だと言えるでしょう。

ただし、本当の愛を理解しないと、そこには至らないんですよね。

私のコラムでは、「愛する人が愛される」とはよく書いていますが、そうすると、「愛されるために愛そうとする人」が出てきてしまうのです。

その時点で、そこにあるのは、「見返りを求める愛」で、「本当の愛」ではないですよ?

「愛情が返ってこないなら、損した気分じゃない?」と思う人が持っているのも、見返りを求める愛です。

つまり、そう思っている限り、分からないこと、見えないこともあったりします。

■本当の愛は、与える人を豊かにする

もちろん100%の愛情を持つというのは、難しいことです。おそらくそれを完全にできる人は、そうそういないと思います。

ただ、それでも、凡人の私が思うのは、「愛情なんて、好きなだけ注げばいいんじゃない?」ってことなんですよね。

愛情をそれだけ注げるというのが、その人の“豊かさ”であり、注げば注ぐほど、「自分が豊か」になるんですよね。

つまり、注いでいる時点で、自分に良いことが起こっている。

ただそれは、本当の豊かさとは?というのが、分からない限り、(=物質的なこと、自分が得することが豊かさだと思いこんでいる限り)理解するのは難しいことかもしれません。

まあ、人それぞれ人生観もあるので、それは何が正しくて、何が正しくないという話ではなく、私自身は、それだけ愛情を注げる人は、“豊かな人”だと思います。更に言えば、それだけ注げる人って、“大きい人”だとも思います。

ちなみに、「愛情を注ぐ」と言っても、その愛情が本当の愛ではないと、全くもって、人として豊かになれないですよ?

見返りを求める愛情を注げば注ぐほど、人はどんどん苦しむもの。

何度も言うけど、その注いでいるものは、愛じゃないから!

「愛情は好きなだけ注げばいいんじゃない?」なんてことを言うと、「好きな人にお金を貢いで不幸になる人もいるんじゃないの?」「身体だけの関係をもって、遊ばれる人もいるんじゃないの?」なんて言い出す人が出てきてしまう。

いやいや、そう言う人って、相手に好かれたいから、お金を貢いだり、身体を提供したりしちゃうんでしょ?

それって、「見返りを求める愛」であって、「本当の愛」じゃないから!

極端な話、本当の愛情から見返りを求めずに、ただただ相手に捧げたくて、さらに、それを与えることで相手の幸せに本当につながるのであれば、好きなだけ、お金でも身体でも提供すればいい、とすら思います。

でも、基本、そんなことをしても本当の意味で、相手のためになることって、そうそうないですけどね。

むしろ、自分の存在のせいで、心がズルくて弱い男、プライドのない男にしちゃうかも?

また、言い方が俗っぽいけど、過度に愛情を注ぎ過ぎると、相手がナメてくる場合も無きにしも非ず。

「なにやっても、俺に惚れているんだから、大丈夫だろう?」みたいな。

ただ、ハッキリ言ってしまえば、相手をナメるような人にしてしまうのは(=相手の魅力を損なわせるのは)、愛情じゃないから!

愛があるなら、きちんと怒ったり、時期、見放した方がいい。

「やさしさを持つこと」と、「ナメられること」は、全然違うから!

つまり、本当の愛って、生ぬるいものじゃないんです。とてもホットでエネルギーのあるものなんです。

逆に、見返りを求める愛は、とても冷たいものなんじゃないのかな?

だから、自分の内側に本当の愛情があればあるほど、その人は、より温かく、エネルギッシュになるけど(=豊かさ)、見返りを求める愛情ばかり増やしてしまう人は、心の冷え性になってしまう。

それは、辛いですよね。

「愛情を注ぐだけなんて、切ない!」と言っているうちは、見返りを求める愛を持っている証拠。

そこから、本当の愛情、心の豊かさを持とうとしない限りは、いつまで経っても切ないまま。

仮に両想いになったところで、相手の愛情を測り、より自分の方が愛されようとして、愛情を奪い合ってしまう。

それだと、本当の豊かさからも程遠い状態ですよね?

本当の愛情を持って、好きなだけ注げられる人になれば、それが「自分の豊かさ」になる。心が豊かでデカイ人でいたいものですね。

byコラムニスト・ひかり

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