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「幸せを得ると、同時に不幸も得ることにつながる」理由

■幸せになると、不幸も手に入れているカラクリ

「幸せと不幸は表裏一体」というのは、
幸せになるときに、不幸も手に入れている、
とも言える。

なぜなら、人は
幸せを手に入れた瞬間から、その幸せが普通になってしまう。
さらに、その幸せを失ったときは、
手に入れる前よりも不幸になる。
(手に入れる前は、それが普通だったのに)

でも、この世界に永遠のものはない。
常に変化している。幸せな状況も変化する。
だから、「手に入れたまま」ということがない。

つまり、幸せを手に入れた時から、
それが幸せではなくなり、普通のことへと変わっていき、
さらにそれを諸行無常の法則から
“未来には失うという不幸”を手に入れている。

結局、この世界では、
「幸せを失わせやすい性質」が2つある。

(1)人間の「慣れる」という能力
(→幸せに慣れる)
(2)諸行無常
=この世の存在は、姿も本質も常に流動変化するもの
(→幸せの状況は変化する)

何度も言うように、
少し前までは幸せだった状況が、慣れると普通になり、
もっと幸せが手に入らないと、不幸に感じるようにすらなる。

だからこそ、手に入れた幸せをずっと味わい続けるよりも、
さらに追い求める。

“もっと!もっと!”の連続。

この連続に終わりはない。
ずっと追い求め続けなくてはいけなくなる。

ずっと「足りない」気持ちを持って、幸せを追いかけ続ける苦しみ。
“もっと!もっと!”の連続から抜け出すためには、
今、目の前にある幸せをきちんと感じることが大切。

“本当の富”とは、「今ある幸せに気付ける才能」。

それに尽きる。

今、ここにいる幸せ。
今、自分の体がある幸せ。
今、自分にエネルギーがある幸せ。
今、自分に家族や友、愛する人がいる幸せ。

それを感じられる才能がある人は、いつでも幸せでいられる。

先ほどの、この「幸せを失わせやすい性質」の2つのうち、
(1)人間の「慣れる」という能力

は、意識を変えることで、変わることはできる。

それは、「有る」ことに慣れないこと。

「無」が普通だと思えれば、有ることは幸せ。

極端なことを言えば、
「無」であること(=不幸も幸せもない状態)こそが、
実は、人が一番心のバランスをとれた状態だったりする。

人によっては、
「幸せとは、不幸ではない状態」だと言う人もいるけど、
結局それは、「無」の境地のことを言っている。

不幸から抜け出すためには、
“無の境地”になるしかない。

結局、仏教でも最終的に目指すのは「無」だと言われるのは、
そういうことなのだと思う。

ただ、無の状態だから、
不幸もない代わりに、幸せもない。

幸せと不幸は表裏一体だから。
(※注意:この「幸せ」は、内側にただただある幸せのことではなく、「外から得る幸せ」の方)

でも、唯一、無の状態でも
幸せを感じさせるものが1つだけある。

それが「愛」。

自分が愛されること、ではなく、
愛すること。

心に愛を増やすこと。

「愛」こそが、幸せの本質。

何かと引き換えにしない愛(無償の愛)。
自分次第で永続できる幸せ。

ただ、そこまで幸せの本質を理解している人は多くはなく、
ただただ幸せが何か?をわからないまま
外にばかり追い求め続け、
「幸せ」に付随する「不幸」も
知らない間に、同時に手に入れている。

でも、「出世したい」「幸せな結婚したい」「お金持ちになりたい」と
この物質的な幸せを求める人たちにとっては、
無の境地は、つまらない。

何も得ることを望まず、
ただ、ただ自分が愛することだけを望むなんて、
損している気分だと思う人もいる。

でも、外からの幸せを追い求めるのを止め、
無の境地にならないと、
人は、苦しみや悲しみから抜け出せない。

「つまらない」をとるか、
「不幸がある」をとるか…。

なんという、究極な選択なんだろう?

ただ、現実的には、
生身の私たちが、完全な「無」になれるか?というと、
相当、難しい。

結局、人間は、幸せを追い求める行為が好きなんだと思う。
それが、この物質的な世界における、人生のエンターテインメントだから。

追い求めるものがなくなったら、人生はつまらない。

もし、つまらなくても、無の境地により近づいて、
目の前に有るものに感謝したり、
人をただ、ただ愛することで、
本当の意味での幸せを味わう方を選ぶ、という選択肢はある。

でも、つまらないのが嫌だったら、
苦しみも悲しみも含め受け取るしかない。

それも含めて、
「生きる」というエンターテインメントなのだから。

私たちが望んでいるような
“(物質的な)幸せだけがある状態”というものは、
この世界には存在しない。
(幸せの本質に基づいた、幸せだけがある状態は存在しても)

これが、物質的な世界で
私たちが追い求めている、“(外から得る)幸せの仕組み”。

幸せを求めながら、
不幸も手に入れている矛盾が、
そこにはあるのです。


ただ、視点を変えると、もう1つ分かることもあります。
自分と関わる全ての人が協力して
自分に幸せを感じさせる手伝いをしてくれている。
(逆に自分が関わる相手にも与えている)

見方によっては、「自分に不幸せを与える人も、
より自分に“幸せを感じさせるための人”」とも言える。

人は、不幸があるから、幸せを感じられるものだから。

だから、実はすべての人に感謝なんですよね。

byコラムニスト・ひかり

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