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「幸せは平等」の本当の意味

よく「幸せは平等にある」と言われます。
そうすると、「平等なんかじゃないよ!」と思う人って結構いると思うのですが、そういう人は、「物質的な豊かさの平等」を言っているような気がするんです。

物質的な豊かさは平等ではありません。

でも、幸せは平等かもしれないな、って思うんです。

生まれながらにお金持ちな人もいるし、ある意味、ルックスがいい人というのも物質的な豊かさに当てはまるのかもしれません。

じゃあ、お金持ちでルックスがいい人はみんな幸せか?というと、そういうわけでもなく、生まれながらにお金持ちの人は自分が働くことの喜びを味わえない人も意外といるかもしれません。

「こんな給与で仕事なんてやってられないよ!」と思うかもしれませんしね。

でも、自分の仕事で給与が増えていく幸せ、努力をして技術を磨き、人に認めてもらえる幸せ、人の役に立つことで得られる幸せもあるわけで、それは「物質的ではない、人生の豊かさ」とも言えます。

ルックスがよければ、上っ面の魅力しか見ない人ばかり寄ってくるかもしれません。

その逆パターンは、ディズニー映画の「美女と野獣」ですが、野獣になった自分のことを受け止められることで本当の愛を感じることもあるでしょう。

つまり、世の中は不平等だ、と言う人は、物質的なことばかりを見て言っているのかもしれません。

以前、ブログで、「幸せを願うことは大切だけど、こうでなくてはいけないと思い込むのは違う」ということを書きました。(http://ameblo.jp/olhonne/entry-12261024616.html

まさに、そういう人は、物質的に豊かになれば幸せになれるという風に思い込んでいるのでは?と思うのです。

ただ、幸せを感じられる人になれるかどうかは、自分次第です。

「私は幸せを感じられないタイプだから不平等だ!」なんて言ったところで、自分以外の人がどうすることもできません。自分で感じられるようになるしかないのです。

結局、どこまでの広い視野で物事を見るか?で人の幸せというのは変わってきます。

視野が狭ければ狭いほど、幸せは感じられにくい。

逆に、物質的なものではない幸せまで目を向けられるようになった時、さらに、自分の人生というスケールで物を見られるようになった時、極端なことを言えば、神様の視点で人間の世界を見るようになった時、感じられる幸せというのは随分違うものでしょう。

もしかしたら、「死」ということですら、今、生きている私たちが思うことと神様の目線で見るものでは変わってくるでしょう。

人間にとって、死は不幸なことですが、ある意味、神様の目線で「人間の世界の修行の終わり」でもあるので、喜ばしいことだとも言われています。(卒業、おめでとう!的な)

それでいうと、人間は、「生があることが幸せに決まっている」という、ある意味、物質的な目線でしか見られていない、とも言えます。

もし、死すら不幸ではないのだとしたら、人間の幸せの根源は随分変わってくるのかもしれません。(だからって自殺をしたらダメですよ?)


そういう視点で見ると、平穏な人生よりも、波乱万丈な人生の方が、人間らしくて、より面白いこともあるかもしれません。

幸せと不幸せは表裏一体というように、不幸せな経験をしている人ほど、ささやかな幸せも気付くことができ、幸せを感じやすいとも言えますしね。

ただ、何度も言うように、幸せを感じられる人でいるかどうかは、自分次第ですが。

はじめに、「物質的な豊かさは平等ではないけど、幸せは平等」と言いましたが、「幸せを感じられる環境は平等」と言った方が、より正確かもしれません。

幸せを感じられる環境を与えられても、自分が感じられなければ、それはその環境を生かし切れていないですしね。

それで言えば、人はどんなに厳しい状況でも、そこから学べば幸せに近づくけど、学べなければ、「単に不幸を味わっただけ」とも言えます。

結局、自分次第なんですよね。そこに気付くかどうかで、人生の幸せ度も随分変わるでしょうしね。

世の中は不公平だ、なんて嘆くのは、もう止めにして(環境や人のせいばかりにしないで)、ただただ自分の幸せを見つけていきたいものですね。

「こうでなくては幸せになれない」というバリアを外しましょっ!

そんなことを思うものです。

byコラムニスト・ひかり

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