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お肉を食べなくなって、私が変わったこと

■肉を食べなくなって気づいたこと

去年からインコを飼ったのをきっかけに、鳥にもハートがあるということを知ってしまってから、あまり肉を食べたくなくなりました。

それまでは1日1食は必ず肉を食べていたのに、ほとんど食べなくなりました。

 

(とはいえ、友達と御飯に食べに行くときとか、定食のセットに出てきたりしたときは、残すのもよくないので食べますし、料理を作るときには、動物系の出汁はたまに使ってしまうので、完全なビーガンではないのです。味自体は好きですしね)

 

で、「1年以上続けて、体に不調はあったのか?」というと、別に何もないんですよね。

疲れやすくなったわけでもないですし、風邪をひきやすくなったわけでもないですし。

 

それよりも、精神的な変化があって、イライラしにくくなりました。

 

これは話半分でいいのですが、スピリチュアル的には、「4本足のものは食べていけない」なんて言われていて、鶏はさておき、牛、豚などは食べないほうがいいらしいんです。

 

知的な動物であればあるほど、屠殺されたときの恐怖や怒りの気持ちの波動がお肉にはあるので、「食べた人がその低い波動の影響を受ける」と言われているようです。

(だから、「イライラしやすくなるのだ」と考えると、納得はいきますよね)

 

とはいえ、個人的には、4本足に限らず、鳥も同じように感情はあるので、恐怖感はあると思うんですけどね…。

 

ツイッターには、こんな画像がありました。

ちょっとひどすぎる状況ですよね。

生き物であり、ハートがある存在であることを、多くの人が理解したほうがいいでしょうね。

 

ただ、現在は、それだけの話ではないようなんです。

これはあくまでも、話半分で聞いていただきたいのですが(私も事実を見たわけではないので)、ネット上では6本足の鶏などの画像が色々と出ています。

 

(興味のある方は、このサイトに出ていました↓)

https://blog.goo.ne.jp/1shig/e/356de9830f238c2786c098e25436f572

 

私は20年以上前に、ある食品系の会社では、遺伝子などを組み替えて、「毛の生えない鶏」を使っているなんてを聞いたことがあったのですが、今はそれ以上の技術が出ているのかもしれません。

 

私たちが見かけるスーパーのお肉たちは、どのような経緯でそのようなパックになったのか、私たちは知りません。

(国産なら、まだ信用できるとは思いますが)

何も知らないまま、食べるのもちょっと怖いものではありませんか?

 

「なんでも疑え」と言っているわけではないですが、私たちには、見えていないものが多すぎます。

それでいえば、自分が会社で働くようになると、「はじめて、その業界の裏側を知ってびっくりした!」なんて経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。

それくらい、消費者、お客の状態では見えないことも多いような気がします。

 

それでいえば、食に限らず、健康の面においても、病院では、いくら信用できるお医者さんであっても、その医者さんは患者に出すお薬を、自分で作るわけではない。

それを私たちは処方されているんですよね。

もちろん、興味を持たない人からしてみたら、どうでもいい話なのかもしれませんが。

 

私たちは自分と直接関わるもの以外は、何も分かっていないことが多すぎるんですよね。

でも、そっちのほうが「大元」だから重要だったり。

 

小さなころからお肉を食べる習慣があったから、疑問を持たないだけの話で、もっと根本的なところに疑問を抱くことは大切なことです。

 

それこそ、私たちがもし子供のころから虫を食べていたら、今でも疑問を感じずに食べているであろう、ということです。

 

そして、「みんなが食べているから」「世の中にあるものだから」ではなく、きちんと自分で考えて、食べるのか、食べないのかを決めていったほうがいいと思います。

どちらにしろ、自分の体には影響を与えるものなのだから。

 

2020年から、私自身は、「あれ?なんかおかしいぞ?」と思うことが色々と出てきたから、自分で調べ、分かったことがあります。

それは、「自分の身を守る」ためにも、大切な情報ばかりでした。

 

でも、そもそも「あれ?なんかおかしいぞ?」と思わない人がいるってことなんですよね。

だから、自分で調べない。

ただ、それに関しては、他人がどうこうすることでもないのかも。もう本人の問題だし、それも含め、自分の行動の責任は自分でとるしかないですしね。

 

そうしたら、そもそも「スーパーで並んでいる食材が、どんな経緯でここに並んでいるか」なんて想像しないでしょうしね。

スーパーに並んでいる食肉が、「生きていたこと」「ハートがある存在であったこと」「もしかしたら、ナチュラルな食材ではないかもしれないこと」よりも、「さぁ、食べ物が並んでいるから、食べよう」くらいの感覚でしょうしね。

自分が直接目にすることしか、興味がないのだから。

 

でも、「どうして牛や豚は食べるけど、犬や猫は食べないのか」を考えたことありませんか?

可愛いから?命(魂・ハート)の価値は違うんでしょうか?それは人間の勝手な判断にすぎませんよね。

「ステーキ=生きていた牛さん」「とんかつ=生きていた豚さん」「から揚げ=生きていた鶏さん」と想像しながら食べる人なんて、ほぼいないでしょうね。

 

自分の都合のいいように解釈し、それで納得させている。

真相は見て見ぬふりをしている。自分には関係ないことだ、と思っている。

そんな風にしていたら(自分をごまかしていたら)、本当に自分を愛せるのでしょうか。

最終的には、「自分」につながる話なんです。なんでも。

 

こういう場面でも、世界の二極化は進んでいると、つくづく思うものです。

「真実を知ろうとする人」と「見て見ぬふりをする人」の二極化です。

でも、「自分が進む道は、自分で選ぶしかない」ので、催促することはできません。個人の自由です。

 

結局、単に「肉を食べる、食べない」という話ではなく、根本的な「生き方」の話でもあるんですよね。

個人的には、より深く、色々なものに興味を持って生きていきたいものだと思うものです。

 

byコラムニスト・ひかり

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