■「セックスの洗脳」に振り回される人、多し!
人々は、知らぬ間に色々な洗脳を受けていることがあります。
例えば、「パートナーを作らなくてはいけない」「恋愛をしなくてはいけない」という呪縛は、意外と「性(セックス)の洗脳」と結びついています。
性欲というのは、生きている限り、自然と湧き出るものです。
それは、生理現象であり、ある意味、排せつ欲とも近いものです。
ホルモンの分泌によって、発散したいという欲が出てくるのです。
でも、世の中には、「性欲の発散は、相手あってのもの」のような偏った価値観が(意図的に)はびこっています。
相手がいない人は「人生に負けている」的な洗脳を受けていて、「男性は女性に受け入れられてナンボ」「女性は男性に求められてナンボ」なんて偏った価値観を刷り込まれている人が多いものです。
だから、性欲の高まりと共に、「相手を見つけなくては!」「相手がいない自分はダメなのではないか」と焦ってしまう人がいる、というわけです。
もう一度言いますが、性欲そのものは、排せつ欲と近いものです。
それをいちいち「誰かと発散しなくてはいけない」と思うほうが、本来はおかしいのです。
極端なことを言えば、「誰かと一緒でないと、トイレで排せつできない」といっているのと同じこと。それは、「自立できているのか、否か」の話にもなってくるのです。
精神面においても、たとえ誰かに求められなくても、「自分は女性(男性)であること」をきちんと受け止め、認めてあげることは、大事なこと。誰かによる評価によって、自分の価値を測っているようでは、大人としてまだまだ未熟だと言えるでしょう。
別に、セックスの行為そのものを否定しているわけではありません。
でも、本当に愛する相手との行為ならまだしも、相手を愛していようが、いまいが、「性欲の発散は、誰かとしなくてはいけない」という強迫観念があると、むやみに恋愛を追い求めてしまうところはあるでしょう。
恋愛はそもそも、相手を愛しているから始めるものであって、そういう思いがない相手とでもすればいいわけではないもの。
でも、生理現象として、自然に沸き上がる「性欲」によって、そして、誤った「性行為の洗脳」(=誰かと発散しなくてはいけないという価値観)によって、人は“愛ではない恋愛”を追い求めてしまうのです。
■今こそ、本当の愛を学ぶとき
“恋愛ごっこ(=相手と愛を奪い合うような関係や、相手を自分の思い通りにしたい欲望)”を愛だと勘違いしていると、本当の愛を見失います。
誰もが本当の愛を学ぶことが大事なのです。
恋愛の多くは、自分の中から湧き出る欲望を愛だと勘違いしてしまうことが多い。
自分の思い通りにならなくても、「相手の幸せが自分の幸せ」だと思えるほどの思いを抱けたとき、本当の愛に目覚めるのかもしれません。
それは自己犠牲とも違う。本当に愛した時、そんな心境に自然になるものなんですよね。
現代は、中途半端な恋愛をして(=自分の欲望に振り回され、本当の意味で相手を愛しているわけではない関係をもって)、本当の愛から離れている人が多い。
そろそろ多くの人が「恋愛の呪縛」「セックスの洗脳」に気づき、抜け出せるといいですね。
byコラムニスト・ひかり