自分の生き方を否定されたくなければ、自分と違う生き方も 否定してはいけないんですよね。
なぜなら、この世界は何だかんだって、“みんなのおかげ”で成り立っているのだから!
街を歩けば、ゴミが落ちていないのは、清掃の仕事をしている人がいるから。今、こうしてネットができるのも、スマホやパソコンを作った人がいて、それぞれの部品を作っている人、それを販売している人、その他、サポートしてくれる人もおかげだったり。
自分1人だけだったら、トイレに行くにも、トイレットペーパー1つだって、作れない。
「みんな、自分の生計のためにやっているだけでしょ?」なんて思いがちだけど、どんな理由であれ、それをやってくれる人がいるおかげで、私たちは快適に日々を過ごしている。
例えば、子供を産む、産まないの自由はあるけど、産み育てている人は、日本の未来に貢献しているのも確か。
逆に、子供を産んでいないけど、仕事で未来に貢献している人だっている。
何がいい、悪いではなく、人それぞれに自分に合った生き方があるから、自分が幸せだと思う選択をしていくしかない。
ただ、自分の生き方を否定されたくなければ、自分とは違う生き方に対しても否定をしてはいけない。
というか、否定をしている時点で、まだ自分の生き方に自信が持てていない証拠だから。
どんな生き方にもいい面、悪い面がある。
もし、自分の生き方の悪い面を指摘されたとしても、「確かに、それはあるよね」とは言える人でありたい。
その代わり、「でも、こういういい面もあるよ?」と追加できることも大切ですが。
逆に、悪い面を指摘した相手に対して、攻撃的になってしまう時点で、まだ自分自身が選択していることに自信を持てていない証拠。
自分のためにも、いい面も悪い面も分かった上で、きちんと選択できるようになった方がいいから。
こういう生き方しかできなかったから、これをやっているだけ、ではなく自分もなんだかんだでそれを選択しているんだ、ということを自覚することは重要なことだから。
無意識的にでも、自分で生き方を選択をしているものだから。
どんな生き方にも、完璧な在り方なんてものはない。
誰もがみんな、なんだかんだ言って、人に迷惑をかけたりしながら生きている。
1人では生きてはいけないのだから。
この世界は“みんなのおかげ”で成り立っている。
自分とは違う生き方をしている人にも「ありがとう」と言える人でありたいものですね。
P.S.
ふと周りを見渡すと、「自分がやっていないもの」に関しては、全て他の人のおかげなんですよね。
自分がいつも寝ているベッドだって、色々な人の手によって作られたものであり、布団だってそうだし、目覚まし時計だって、歯ブラシだってそう。
当たり前だけど、家だって色々な人によってつくられて、今、自分が住めるようになっていて。
「いやいや、お金を出しているのは私だから」なんて思いがちだけど、同じ金額をもらったら、あなたはそれをやりますか?って話なんですよ。
ベッドが5万円だったとして、人から5万円もらったら、木を伐採して、形を整えて、ベッドを作りますか?って。
私なら、無理です!(笑)
私たちの生活のほとんどは、誰かのおかげで成り立っている。ホント、感謝!なんですよね。
byコラムニスト・ひかり