■「4次元ドラマ」が曲者だった!
これから5次元に向かう人にとって、大きなステップがあるとすれば、それは「4次元ドラマ」からの卒業かもしれません。
「4次元ドラマ」にどっぷりつかっていると、なにが「4次元ドラマ」なのかが分からなくなるもの。
敢えて言うなら、「喜怒哀楽」といった感情がドドッっと出てくる出来事が、そうだと言えます。
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そして、最高の「喜」を本当の幸せなのだと、思ってしまっている人がいますが、それは、「4次元ドラマ」の中の幸せにすぎないことがあるのです。
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たとえば、生まれたての赤ちゃんは、親から最高の愛情を与えられたとしても、うれし涙を流すことは少ないでしょう。
でも、大人になって、大きな失恋や別れ等を通して、家族を得た時、喜びの涙を流す人は意外といるでしょう。
どういうことか・・・?
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大きな失恋や別れといった、「哀」、場合によっては「怒」を経験するから、その反対の出来事は、より一層、「喜」「楽」になるのです。
これらはセットなのです。
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これが、「4次元ドラマ」だといえるのです。
そういった「4次元ドラマ」を求めている限り、5次元には向かえない、ということのようです。
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本当の幸せは、「恍惚とするものではない」のです。
敢えて言うなら、「酔っぱらって楽しくなっている状態」って、通常ではないですよね?
楽しいは楽しいのだけど、“本当の楽しさ”ではない。それとにたようなものです。
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「4次元ドラマ」を抜け出す準備ができると、どうなるのか、ただただ穏やかで温かい状態…「今、ここに存在していること」こそが幸せなのだと実感でき、感情を揺さぶられるような「4次元ドラマ」は苦手になってきます。
恍惚とするような「喜」でさえも、苦手になってきます。
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そうすると、テレビドラマや映画なども、「面白い」と感じるものは、随分変わってくることもあるでしょう。
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そうはいっても、まだこういった「4次元ドラマ」を楽しいと思う人は、思う存分、味わうことは悪いことではないと考えています。
これらを体験するために、私たちは3次元の地球に生まれたのだから。
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ただ、その先には、そういった「4次元ドラマ」を面白くなくなってくる流れになってくることだけは、知っておくといいのかもしえません。
いつまでもその場所に留まることは、魂だって望んでいないはずだから。
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つまり、5次元というのは、「ニュートラルな自分」でいること、ということなのでしょう。
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私自身、2014年の頃、インドに行ったとき、「幸せの仕組み」について気づいてはいました。
当時のブログには、こういったことを綴っています。
当時の私はまだ「4次元ドラマ」が面白いと感じていた段階だったので、
「つまらない」をとるか、「不幸(&幸せ)がある」をとるか、究極の選択だ、という表現をしていました。
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でも、月日を経つと、4次元ドラマを卒業した状態は、「つまらないもの」ではなくなってきたんですよね。
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ただし、その頃から今までの時期は、存分に「4次元ドラマ」を体験する必要があったし、それがあったから、今は卒業したいと思えていることを実感しています。
段階を踏むことも大切なんですよね。
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あなたは、「4次元ドラマ」を抜け出す準備はできていますか?
byコラムニスト・ひかり