■振られたほうが、かっこ悪い?
私たちは「自分が愛されるか(愛されたか)どうか」にこだわり過ぎているところがあります。
でも、「愛されたか」よりも、「きちんと自分が愛したのか」のほうが大事なんですよね。
30代前半くらいまでは、私自身、「振った、振られた」にこだわっているところがありました。
「振られたらかっこ悪い」「付き合っている相手から振られるほうが、残念な人に見える」と。
でも、だんだん大人になると、付き合っている相手に「振られる人」のほうが、もしかしたら本当に相手を愛した人なのではないか、と考えるようになりました。
よほど、なにか大きな問題を抱えている場合は、別ですよ?
借金があるとか、浮気癖があるとか、性格が悪すぎるとか(苦笑)。
本当に人を愛せる人であれば、どんなことがあっても、相手を受け止めて、一緒に歩んでいこうという覚悟があるから、「振ろう」「別れよう」という発想にならないこともあるでしょうしね。
もちろん相性はあります。生理的に合わないのは致命的ですし、「付き合ってみて相性が合わないから別れたい」ということも、あるでしょう。
でも、もし自分が相手を振る立場のときは、そもそも自分は「本当の意味で、人を愛せる人間なのだろうか」と考えることも大切のような気がします。
“自分にとって都合がいいから好き”程度の愛情しか持てない人は、本当の意味で人を愛せることはできないから(自己愛の延長だから)。
私たちは、「モテることが大切。愛される人になることが大事」だという刷り込みをされてきたところがあります。
でも、本当に大事なのは、「人をちゃんと愛せる人になること」なんですよね。
「振ること」よりも、「愛し抜こう」と思う人のほうが、愛があります。
もし自分がパートナーに対してそう思えないときは、「相手が悪い」「相手のこういうところが気に入らない」という前に、「自分はきちんと相手を愛せているのか」を考えたほうがいい。
特に、結婚していたり、お互いに将来を見据えて交際をしている場合は、特に。
(お互いに距離を保って、軽い気持ちで付き合っているのであれば、愛があろうがなかろうが、問題ないところもありますが)
「振られること」より、「愛せないこと」のほうがカッコ悪い!
……と大人になった私は、もう思うものです。
byコラムニスト・ひかり