■神様が教える愛とは?
神様は“愛そのものの存在”だからこそ、愛について、深く教えてくれるところもあるのかもしれません。
書籍「神との友情〈上〉道が見える 旅が始まる」(サンマーク文庫)は、「神との友情を結ぶステップ」について書かれた本ではありますが、恋愛においても、すごく重要なことが書かれています。
一部、抜粋します。
「この3つは、強力な愛の消火剤だと言ってもいい。
1 必要性
2 期待
3 嫉妬
この3つがあったら、真に人を愛することはできない」
「ほとんどの人びとが愛と必要性を混同していることだ。
(中略)
誰かを愛し、同時に必要とすることはあっても、必要だから愛するということはない。必要だから愛するなら、それは相手を愛しているのではなくて、相手が与えてくれるものを愛しているのだ」
これは、まさに、「依存と愛の誤解」ってことですよね。
個人的にも、依存されること、期待されること、嫉妬されることはすごく苦手なので(苦笑)、愛の消火剤だという意味がよく理解できます。
また、こういったことも書かれています。
「相手との関係を変化させるために、関係を終わらせる必要はない。
第一、関係は終わらない、変化するだけだ。あなたはつねにすべての人と関係を持っている。
問題は、関係をもつかどうかではなく、どんな関係にするかということだ」
この意味も、今なら分かります。
例えば、恋人と「付き合う・別れる」というのも、関係の変化に過ぎないんですよね。
関係がなくなることではない。「会わなくなるという関係」になるにすぎない。
そして、スピリチュアル的な意味でいうと、私たちはすべての人たちとつながっているし、関係している。
その中で、どんな関係をもつか、というだけのことなんですよね。
もちろん、「素通りの関係」というのもある。でも、それも関係。
例えば、私たちは、このコラムを通してつながっている。これも、「関係」のわけです。
いつかあなたがこのWEBを読まなくなったら、私との関係がなくなるか、というとそうではない。「関係が変わった」だけなんです。
◇
さらに、こんなことも書かれています。
「あなたは自分の愛を与えるやり方でしか、人の愛を受け取れない。
相手は好きなようにあなたを愛することができる。
あなたは、自分の方法でしか、その愛を受け取れない」
これも、先ほどの関係性とすごくつながることなのですが……例えば、私は人と出会ったとき、その人とどういう関係を築くことがお互いにおいて、HAPPYなのか、と考えます。
もちろん、素通りの人にまでは、いちいち考えないけど、例えば、アプローチをしてくれる男性が現れたとします。
そのとき、考えるのは、この人と友達でいる方がお互いにHAPPYなのか、恋人になった方がHAPPYなのか、もう連絡をとらない関係になった方がHAPPYなのか、ということ。
「付き合えばいい」というものではありません。
距離を保つからこそ、うまくいく関係もある。距離感があるから、傷つけ合わない関係もある。深い関係になるからこそ、学び合える関係もある。
正直言うと、男女の関係は、「Hをする前」と「した後」では変わってしまう。
一度、Hをすると、恋人関係を解消したところで、“単なる友達”には戻れない。
でも、単なる友達の距離感こそが、お互いを支え合えることだってあるのです。
だから、お互いの幸せのためにも、単に関係を深めればいい、というわけではないんですよね。
ただ、私自身は、「この人とどういう関係になれば、お互いにHAPPYになれるのだろう?」と思っていても、相手にとっては、単に私が彼を恋人にするか否か、見定めているとしか見られないこともあるわけです。(まあ、それが一般的な思考だし、ほとんどがそうだと思います)
でも、そんなとき私は、ここで書かれているように、「人は、自分が愛を与えるやり方でしか愛を受け取れないのだ」と、つくづく思うのです。
その彼は、すでに私の愛に気付いてないし(※異性愛とは違う愛情だけど)、だからこそ、受け取れないのでしょうしね。
人は愛をもらえないのではないんです。愛を受け取れないんですよ。
もちろん、その愛は、単なる異性愛とは違うかもしれません。
ただ、そもそもその異性愛って、相手を<必要とする>ところからスタートしている。
相手を本当に愛しているから必要としているわけではなく、
・自分には恋人という存在が必要(世間体)
・性欲を満たす相手が必要
・自分を楽しませてくれる存在が必要、
など、必要だらけなんですよ。
だから、本当の愛とは程遠いことも・・・。
だからこそ、「この世界での恋愛で、愛だと思われているものは、愛ではないのでは?」と思ってしまうところがあります。
人は、好きな人が自分に愛を与えてくれないと、愛をなくそうとする。本当になくなるものなのか・・・?
この本にはこんなことも書かれています。
「死んでしまうのは愛ではない。必要性だ。もう相手を必要としないと決意することだけだ。
実は、相手を必要としたくないのだ。それでは辛すぎるから。
(中略)
必要性を殺すのだ。愛を殺すのではない。それどころか永遠に愛を抱き続ける者もいる」
片思いの相手が振り向いてくれなかったら、嫌いになろうとする。でも実際は、嫌いになると言うよりは、このままでは辛いから、相手への必要性をなくそうとするだけのこと。
もし相手への愛があれば、それは終わらない。単に関係を変えただけにすぎない。そういうことだと思うのです。
恋愛において、単に相手が必要か必要ではないか、関係をつなげるか、切るかという価値観でいるから、人は苦しむもの。
愛する相手を、ただ、ただ愛せばいい。自分に何をしてくれる、してくれないに関わらず、ただ、ただ、愛せばいい。
そして、関係を切ると思うから、人は心に穴が開くほど苦しむ。
でも、関係は終わらない。ただ、関係を変えるだけなのだ、ということ。
全ての人との関係は、実はそれに尽きるのだと思う。恋愛に限らず、親子でも、友達でも。
ただ、ただ、相手を愛し続ければいい。相手と一番うまくいく関係を築けばいい。わざわざ愛することをやめる必要も、関係を切ろうとする必要もない(会わないという関係を作るに過ぎない)。そういうことだと思うんですよね。
目に見えないところで、私たちはずっとつながっている。
死んだら、肉体はなくなってしまうけど、目に見えないところでは、ずっと残っている。
はじまりもおわりもない。ずっとあるのだから。
どこまで目に見えるもの、物質的な物だけに執着するかは、その人次第。
それに気付くかどうかなんですよね。
ただ、気付いたときに怖いのは、「だったら、今、生きているのは苦しいから、この命はリセットしちゃおうかな?」って思ってしまうこと。
もしかしたら、簡単に死なれたら困るからこそ、死ぬときは苦しむようにできているのかも!?
でも、肉体はなくなっても、魂はそのまま。生きるのが辛くて逃げ出した魂もそのまま。
楽になれるはずがない。だって、逃げちゃったのだから!
後悔するに決まっている。なんのためにせっかく生まれてきたの?今まで頑張ってきたの?と思わずにはいられない。
つまり、この命うんぬんよりも大切なのは、私たちの内側にある魂。
その魂がどんな思いを抱き、どれだけ愛があるのか。
それが、この肉体を失っても引き継ぐものだから。
今、目に見えなくても、どれだけ真剣に自分を愛せたか、人を愛せたかは、すごく重要。
何度も言うけど、私たちは生きている間も死んだ後も、ずっとつながっている。関係がなくなるのではない。どんな関係でいるか、だけに過ぎない。そういうことだと思うのです。
それにしても神様は、面白い世界を作ったなぁ。そう思わずには、いられません。
byコラムニスト・ひかり