■本当の優しさとは?
本当の優しさを持つって、すごく難しいことなんですよね。
それだけ自分の心の強さも問われますしね。
自分が弱っているときに人に優しくなれるか?っていうと、そんな余裕がないときは、やはりまずは自分を立て直すのに必死になりますしね。
私は人を幸せにするにしても、“自己犠牲”をしてまですることには肯定していません。
自己犠牲になってしまう時点で、まだその人はその状態(器)ではないんです。
例えば、聖人が、自分のたった1枚の服を貧しい人に差し出せたとしても、それはその人が、そうすることができるくらいの境地の人だからできるわけです。
そんな段階でもないのに、自分の服を差し出して、自分が不幸になってもしょうがない。
その境地になった人って、それができたとき、自分のことをより誇りに思えるんですよ。服を差し出すことで、自分も幸せになれる。
それは、自分の幸せしか考えられな人とは、スケールが違う幸せだったりもしますしね。
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「本当の優しさを持つ」というのは、それと同じことだと思うんですよね。
人に好かれたい、嫌われたくないといった気持ちから人に優しくする人と、本当に相手の幸せを願ってする優しさは、本人の幸福度が変わってくる。
それくらいになるまで、心の器を大きくするって、自分にとって、大事なことなんですよね。
例えばですが、小学生のとき、みんなでケーキを分けたら、友達のケーキの方が大きかったりすると、すごく自分が損している気持ちになったりするけど、大人になったら、友達のケーキが大きくたって、どうってこともないって思えるようになりますよね。
食べたければ、自分でまた買えばいい。小さいくらいの方がダイエットになる。と思えますしね。
さらに、小さな子供が新たにやってきて、「ケーキ食べたい!」なんて言い出したら、自分のケーキをあげることだって、できてしまう。
心の器を大きくすると、些細なことがどうでもよくなる。
人に分け与えることも苦痛でもなんでもない。
むしろ、自分があげたケーキを喜んで食べる小さな子供を見たら、自分の方が嬉しくなったりする。
心の器を大きくしたときに、苦がなくできる優しさってあるんですよね。
だから、本当の優しさを持つためにも、日々、心の器を大きくすることって重要なんですよね。
本当の優しさって、すごく奥深いものなんですよね。日々、成長していきたいものですね。
byコラムニスト・ひかり