人を差別するような人は、常に人と自分を比べ、優越感を得られなくては、自分を肯定できないほど、劣等感の強い人が多い。
だから、そんな人に傷つけられたところで、相手にしてはダメ。
“その程度”の人なのだから。
世の中に差別がなくならないのは、それだけ幸せな人が少ない証拠。
それは、すごく残念なこと。
みんなそれぞれ、自分の幸せを掴めばいいだけなのに!
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ある日、トーク番組「早く起きた朝は・・・」(フジテレビ系)を観たとき思ったんです。あの番組に出ている3人って、それぞれ特徴的な人生を歩んでいるなぁって。
バツイチで年下の旦那さんがいて、子供はいない磯野貴理子さん、バツイチシングルマザーで一人息子がいる松居直美さん、夫と3人の娘がいる森尾由美さん。
以前、貴理子さんが、「なんだかんだ言って、みんな自分の人生が一番好きでしょ?」みたいなことを言ったんですよね。
私自身、その言葉にすごくハッとしたんです。「私も、自分の人生、意外と好きだな~」って。
いい年して、結婚もしていないし、子供も産んでいないけど、好きな仕事をやらせてもらっていて、もし「他の人の人生と取り換えられる」なんてことがあったとしても、私は、今の自分の人生を生き続けるかもなぁ、と。
だから、もし「まだ独身なんて可哀想」なんて、差別的なことを思われることがあったら(そんな扱いをされることはめったにないけど)、「へ?」って思ってしまうところもあるかも。
結婚願望はないわけではないけど、なんだかんだ言って、今の自分の人生を自らの意思で選択して生きてきたのだから。
全く選択肢がない中で、今の人生にたどりついたわけではなく、色々な選択肢の中で自分が「いい」と思ったのを選んできたところはあるから(もちろん選べない選択肢もあるので、選べる範囲での選択肢ではありますが)。
結局、「独身で可哀想」なんて思う既婚者は、そう思いたいのだと思う。そう思うことで、自分の人生を正当化したいところもあるのだと思う。
でも、正直言うと、そっちの方が可哀想。
「相手も相手で幸せ、私も私で幸せ」と思えない人は、本当の意味での幸せ者ではないから。
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人に対して差別的な目を持っている人は、自分に対しても差別的な目を持っている。
だからこそ、いつも自分が不幸に見えないか、ビクビクしている。
自分で自分を追い込んでいるんですよね。
差別的な扱いを受けたところで、不愉快な気分にはなるだろうけど、同じ土俵に乗る必要はない。
そうせざるを得ないくらいに、相手の心が闇にあるのだから。
心が明るいところにある人は、人を差別なんてしないから。人が自分と違うだろうが、そんなことを気にしないくらいに、自分の人生を楽しんでいるから。
独身も既婚者も、子供がいる人もいない人も、同性愛者もみんなOK!
みんなそれぞれ、自分の幸せを掴めばいい。
自分にとっての幸せは、人と同じとは限らないのだから。
少なくとも自分自身は、人を差別するような人にはなりたくないものだなぁ、なんて思うものです。
この世界に幸せ者が増え、差別がなくなる時が来ますように!
byコラムニスト・ひかり