つくづく思うんです。「この世界に生まれてきたすべての人が、この世界に生まれてよかった」と思えるような人生を歩めるといいな、と。
みんな、この世界に望んで生まれてきたはず。(生まれてくる前に、強い決意を持って)
そして、生まれてくる前に予定していた出来事を経験して、学んでいる。
でも、この世界に生まれたときにすっかりそれを忘れてしまい、“この世界にいる自分の解釈”でその出来事を見てしまっている人もいる。
本来は幸せであることも、この世界の価値観によって、「不幸なことだ」と勘違いしてしまっている人もいる。
例えば、「結婚しない人生」を選んで生まれてきた人もいる。
その人は、この世界を独身でいることで学べることにワクワクしながら生まれてきたはず。
でも、この世界の価値観に染まってしまい、「自分は結婚できないダメな人間なんだ」なんて思ってしまったり、「天涯孤独な人間なんだ」と思ったり。
いやいや、独身だからこそ、「自由にこの世界で好きに生きられるんじゃないの?」「自分の時間がたっぷりあるからこそ、自分の力を発揮できるじゃないの?」「好きなだけ、恋愛を楽しめるんじゃないの?(独身なのだから)」
そのために独身でいると、決めて生まれてきたんじゃないの?
この世界のシステムは
・みんなが同じように生きて安心する人間
・人や情報に影響を受けやすくなる人間
にしようとしているところも。その方が、統一させやすくなりますしね。
だからこそ、独身でいるというだけで、“平均的な人”でないから、肩身の狭い思いをしてしまったり・・・。
でも、「今の時代に生まれてきた」ということは、一昔前よりも生きやすくなっているはずだから、もっと自由に生きられるはずなんですよ。
更に言えば、「世の中を変えたい!」と思って生まれてきているところもあるかもしれないですしね。従来の価値観を変えていきたい、って。
それで言えば、私は世の中を変えたい。表現することを通して、どういう考え方を持つとより幸せになれるのか、をもっともっと人に伝えていきたい。
まずは、みんながそれぞれ幸せになることが大切。
それによって、人のことも幸せにする余裕が生まれるし、この社会全体も幸せになっていくから。
あなたは、なにか理由があって、今の環境を選んできたはず。そして、今の自分でいるはず。
それをもっと生かして、自分らしく幸せになったとき、この世界に生まれてきてよかった、と思えるような気がするんです。
他の人の人生と自分の人生を見比べて、劣等感を抱いていたって、意味はないわけで、あなたはその運命を選んできていないのだから、あなたはあなたが選んできた運命を通して、自分の人生を楽しめばいい。
レストランで自分は海老フライを頼んでいて、隣りのテーブルの人はカツカレーを頼んでいるのに、隣の人のカツカレーを「美味しそうだ」と言って羨ましがってもしょうがない。
自分は海老フライを注文したのだから!
自分は自分が選んだ「海老フライ」を思いっきり堪能した方がいい。人と比べるんじゃないんです。
自分が選んできた人生の中で幸せを見つけて、堪能していくんです。
親がいること。友達がいること。仕事があること。旅行に行けること。本を読めること。
どうしても幸せが見つからないなら、一昔前の時代と比べてみてもいい。
インターネットのある世界に生きていること。戦争をしない時代の日本に日本人として生まれてきたこと。食べ物と物があふれている日本に住んでいること。
今の自分だからこそ、できることがある。そのために生まれてきたのだから。
堪能しないと、もったいない!
あなたが“あなたらしく”幸せになりますように!
心から願うものです。
ただ、こんなことを書くと、「私はこんなに不幸なのに、どうして自分で選んできたんですか?」なんて質問をされる方もいます。
その理由は、自分で見つけないといけないと思うんです。
自分で見つけるから、意味があるんです。自分で選んできたことだから。(同時にその環境ならではの幸せも、自分で気づくことが大切なんです)
私が私の勝手な解釈でその意味を言ったところで、その人が自分で見つけ出さない限り、意味はないことだと思うんですよね。(そこは人に依存をしてはいけないと思いますし)
あなたの思考次第で、あなたの人生は幸せにも不幸にもなるもの。
不幸だと感じるのであれば、それはあなたの思考が原因であることもあるかもしれませんよ?
少なくとも、今ある幸せに気付き、感謝することができないからこそ、不幸だと感じているところもあるかも。
何度も言うように、人と比べても、意味はないですよ。
あなたの人生は、あなたのオリジナルなのだから!
byコラムニスト・ひかり