実は、“負い目”って、大事だと思うんですよね。
“負い目”がない人って、人の痛みが分からないし、残酷になりがち。
例えば、今、20代前半で容姿端麗で、お金がザクザク稼げるほどの才能に溢れていたら、そうでない人の気持ちなんて思いやれなくなってしまうことも多いのでは?
「おばさんになるなんて、考えられない!」「綺麗じゃない人って、可哀想」「どうしてほしいものを我慢しなくてはいけないの?稼げばいいじゃん!」
なんて、残念な考え方を持ってしまってもおかしくないと思うんです。
世の中の厳しさ、ままならないことを分かっていないから、いい気になってしまうんですよね。
経験しないことは、なかなか理解できないことも多いですしね。
でも、そんな人だって、年をとるし、老化で容姿だって衰えてくるし、仕事だってずっと絶好調なんてことはないでしょう。
そうなってみて初めて、人は、人の苦しみを理解できるようになるし、また、若さなどあらゆるものを失って、魅力が落ちた分、(いい気になっていた分、それは精神的にもくるはず)人に好かれようと、より優しい人間になっていくのだと思うのです。
自分が何か負い目があったとしても、相手がそれを受け止めてくれてくれたら、その人が自分に不都合なことをしても、「許したい」と思えてくるもの。
完璧な人間なんていないのだから、そうやって許し合えるくらいになった方が
人生は豊かになる。
いい気になっている人間なんて、薄っぺらい。
私がもし神様だったら、いい気になっている人にほど、“負い目”を与えたくなってしまうかも(苦笑)。
でも、それはその人をイジメたいからではなく、もっと大切なことを学ばせるために。
負い目があるからこそ、人に優しくなり、さらに魅力が増すんですよ。
それは、「負い目の部分ばかりに気にするのではなく、それを上回る魅力を身に付けなさい」という神様からのメッセ―ジであり、さらに魅力になるための大切なギフトなのだと。
負い目は、ときとして魅力に化ける。
そんな魅力を身に付けたいものですね。
byコラムニスト・ひかり