人と人との出会いも偶然ではないし、自分が今与えられている役割も偶然のようで、実は大きな力によって与えられているものです。
それをすることによって、自分の成長に役立つこともあれば、誰かの人生に影響を与えることもある。
逆を言えば、相手がその役割を担ってくれることで、うまい具合にみんな自分の人生のテーマをクリアしていっているのだと思うのです。
例えば、私は著名人インタビューのお仕事をしていますが、自分が取材依頼をした人がみんな取材できるわけでもありません。
また自分はそんなに興味はなかったけど、広報・宣伝の方から、「この方を取材していただけませんか?」と依頼されることで、取材につながることもあります。(もちろん担当者に確認を取って、取材をする形になるので、私の一存だけでは、取材できませんよ?)
そんな色々な条件が揃って、取材が実現した時には、やはり私は、神様から「この人は今すごく頑張っているから、いいところをちゃんと世の中に伝えてあげなさい」「その人をちゃんと褒めてあげなさい」と言われているような気がしているんです。
実際にそうやって縁がある人って、取材のそのときまでにちょっと大変な出来事を乗り越えた人、今、節目になっている人も少なくないんですよね、不思議と。
私自身、
・人の悪口は書かない。
・秘密を暴露するような記事は書かない。
・人を不幸にする記事は書かない。
可能な限り、
・読んだ人が幸せになるきっかけになるような記事を書く
というポリシーを持っていることもあり、そういう風にしていると、自然とそれにふさわしい取材対象者が現れることが多いんですよね。
人との出会いは、やはり大きな力で出会わされているというものです。
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それで言えば、「恋愛」というのも不思議なもので、お互いに影響を少なからず与えあう相手となるからこそ、相手を変えるため、そして自分を変えるために“役割”を与えられて出会い、その役割が終わったら、別れにつながることもあるものです。(そのまま結婚に進むケースもありますが)
この間、じっくり自分の過去も含め占ってもらったときに、過去の恋愛相手に対しては、「この人は恋愛をするには、いい相性だけど、結婚にいい相性の人ではなかった」と言われたときに、すごく腑に落ちたところがあったんです。
その人と出会う前にその占い師さんに見てもらったときと、今、占い師さんに見てもらったときでは、私自身も随分、変わっているみたいなんですよね。
「奉仕する気持ち」が高まっている、というのか。 私にとって、その過去の恋愛は私の奉仕力を引き出してもらえるものだったとも言えるものです。(その元カレはそれを引き出すための役割をになってくれるために私の人生に現れたのだと。逆に私は相手にどんな役割を与えられていたのかは、私には分からないけど・・・)
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それで言えば・・・私は本当に争い事は嫌いなので、極力したくないと思いつつ、数年間に1回くらいは、「これって、おかしいですよね?」ということをきちんと声を上げて言わなくてはいけない役割を与えられてしまうこともあります。 出会ってしまうんですよね、そういう人に。
基本、プライベートでは許す、許さないの話なので、寛容になった方が楽なところもありますが、ビジネスになると、金銭も絡むし、きちんと筋を通した方がいいこともありますしね・・・。
とはいえ、自分と関係ないところでそういう人がいても、「当人同士でどうにか決着つけてください」と思うものだけど、そんな仕事相手と出会ってしまい、理不尽なことをされたまま黙っていると、こっちも泣き寝入りだし、そういう人は今後も同じことを他の人にもするだろうなと思うと、やはり行動せざるを得ないというか・・・。(本人のためにも、今、自分が過ちをおかしていることに気付いた方がいいこともありますしね)
もちろん、やり方は至って正当に、法の力を借りるか、証拠を提出して、企業間で話し合いの場を設けるのか、という感じなのですが。
そんなとき、「今、損な役割を与えられてしまっているなぁ」なんて、思うものです。
でも、自分が知らないところで誰かが動いてくれるからこそ、私自身がスムーズに物事を進められていることもあると思うので、自分にその役割がきたときは、やるしかないですよね・・・。
何と言うか、学校でいう、「お掃除当番がきた」みたいな感じというか。
見方を変えれば、そういう時期は、「運勢が落ちている」というよりは、「今度はあなたが、お掃除当番ですよ」と言わんばかりに、面倒な役割が順番でくるのかもしれません。
なにかしら面倒な作業をしなくてはいけないときが、占いで言う「運の悪い時」なのかもしれません。
運勢の悪い時期は、それだけではなく、自己改善のためにトラブルが起こることもあるし、人間関係の改善のために喧嘩になってしまうこともあるだろうし、最終的には、未来がより良くなるための面倒くさい作業(辛い作業)を与えられる時期なのだと思うものです。
そう思うと、運勢が悪い時も単に怖がる必要はない、というか。 「起こるべきのない不幸が運が悪いから起こる」なんてことではないから。(中には、現世では理解できないことでも、「前世の解消」のために起こる不幸もあるみたいですね)
その出来事によって、より自己の成長もあれば、自分の与えられた役割によって、人様に役立つこともある、というか。
そして、その面倒な役割もまた、結果的にいつか自分のためになるからこそ、与えられていることもあるでしょうしね。
この世界は、みんながそれぞれ自分に与えられた“役割”をこなすことで、うまくまわっているところもあるでしょうね。
そう思うと、誰もがみんな運命共同体であり、感謝すべき存在とも言えるのかもしれませんね。
面倒な役割がきたときは、そこから逃げずに、速やかに解決しちゃいましょう!
そうしたら、運勢の停滞も早めに晴れるかもしれないから!
byコラムニスト・ひかり