■人は、気が向く方に進む
なんだかんだ言って、人は「好きなこと」に気が向くようになっているもの。
だからこそ、今の人生は、自分が今まで色々なことの中から「気が向いたこと」に進んだ結果だったりします。
恋愛したい、結婚したいと頭では思っていても、実は仕事の方にばかり気が向いていたり。
逆に「仕事をバリバリやりたい」なんて思っても、恋愛の方に心が囚われていたり。
もちろん自分の気持ちがそっちに向かったとしても、それがうまくいくか否かは別。
ただ、人は自分が好きなことに対しては、うまくいくにはどうしたらいいのかを真剣に考えるもの。
だから、結果的にうまく行くことの方が多いことも。
それに当てはまる言葉と言えば、「好きこそものの上手なれ」。
さらに、論語には、「之れを知る者は、之れを好む者に如かず。之れを好む者は、之れを楽しむ者に如かず」という言葉もあります。
「私は愛されたいのに、今まで、全然、恋愛がうまくいかないわよ」という人は、おそらく、「自分の我を出す」ことを一生懸命やっていることも少なくありません(苦笑)。
だから、相手よりも、「自分の“我(が)”が好き」だということだったりするのです。
私を愛してほしい。
私を求めてほしい。
私を受け止めてほしい。
これらは、相手を愛しているわけではない。自分の“我”を愛している行為。
ちなみに、「自分らしく生きる」のと、「自分の我を出すこと」は同じようで同じではありません。
さらに言えば、「個性」と「我」も同じではありません。
「我を出す」というのは、私という“個”をこの世に存在させたい行為。だから、孤立することも。
本来は、自分だけではなく、自分以外の人たちも同じく尊い存在だと理解し、自分も周りの人たちも愛することが、調和を生むもの。
自分の個性(才能)は自分を含め、多くの人たちを豊かにするために役立てる。
それが、自分を、そして人を愛する行為と言えるのではないでしょうか。
逆に「自分は他の人とは違うと思いたい」「自分は特別な人間でありたい」「人よりも恵まれていたい」といった思いは、わざわざ自分を孤立させてしまうことも。
「好きな人を愛するよりも、愛されたい!」というのは、「自分の我を出したい」という欲望に近い。
実は、「自分の我を世に出す」ことに、自分が一番喜びを感じ、気が向いている。
だから、一人ぼっちになりやすく、ある意味、”(知らぬ間に)気が向いている「望み」”が実現してきている、とも言えるわけです。
◇
私自身、人に喜んでもらうことのが自分の幸せだという思いで仕事をやり始めてからは、随分、環境が変わりました。
それは行動も変わってきたからだと思います。
逆に、仕事が面白すぎて、気持ちがそっちばかりに向かっているところは未だにあります(苦笑)。
だから、今の人生は自分が気が向いてきた結果なのだと気付かされる出来事もあったりして。
でも、それをきっかけに、今、自分が独身であることをすごく肯定している、というのもあります。
「あぁ、自分がそれを選んできたのだ」と。
本当に心から今の環境を望んでいないのであれば、気を向ける方向を変えればいい。
でも、気を向けるって、意外と難しいもの。
「心」から変えないと、気を向ける方向は、変わらないですからね。
だから、まずは「自分が何に気を向けているから、今、こういう人生なのか」ということをよく考えて見た方がいいかもしれません。
実は、気づかないところで「自分にとって譲れない」ものがあったりするから。
知らぬ間に、自分の我を出し続けることを何よりも優先してしまっている人と同じように。
ネガティブな人もネガティブな方に気を向けているから、ますますネガティブな結果になってしまっている。
幸せになれる方向に、気を向けられる人でありたいものですね。
byコラムニスト・ひかり
★人生に悩む人に!
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